十数年ぶりの道外…

 昨年の末ですが、十数年ぶりに道外に行ってきました。今回は出張で東京に行ったのですが、前の日に前乗りしたので、午後時間があったので、どうしようかと考え、以前道内のチャシをご案内したKさんにメールしたところ、「それなら横浜の小机城はいかがですか?案内しますよ。」と言って下さったので、お願いした次第です。
 12/26の11:00のJALで東京に向かったのですが、前日からの天候不良で約30~40分ほど遅れ、東京に着いたのは13:30頃でした。(まあ飛んでくれただけありがたいですが)
Img_7984_3 早速Kさんと合流し、電車を乗り継ぎ、途中の駅のコインロッカーに荷物を預け、いざ小机駅へ。駅から少し歩くとこんもりと緑に覆われた小山が見えてきました。これが小机城でした。そのまま進み住宅街の中の道を歩いて行くと「小机城址市民の森」という看板があちこちにあり、それに従って小山の方へ進むとまずは「根古屋広場」がありました。Kさんはここで一服するというので、私だけそのまま進み、突き当たりを左の方へ。
Imgp2136
 すると本丸(西郭)への土橋と大きな空堀が見えてきました。そして本丸(西郭)へと入ると虎口に大きな土塁がありぐるっと取り囲んでいます。そのまままっすぐ進み本丸(西郭)の反対側に行ってみると、そちらにも大きな空堀がありました。
 今度は本丸から東側の細長い郭へ進むとKさんと合流し、櫓台跡を見た後北側の空堀の方へと下りていきました。かなり深い壕で、十数mはありそうな規模でした。その壕がぐるっと本丸(西郭)・二の丸(東郭)の北側を取り囲んでいます。Img_8002
 そのあとまた本丸に戻り二の丸を回って、先ほどの櫓台跡の外側の空壕へと進みました。こちらも大きく防御がしっかりしていることがうかがえます。Img_8009
 そしてそのまま堀沿いの土塁の上を歩き、第三京浜道路の方へと進むと、堀切?竪堀?のようなものが?Imgp2182
 その後は神保町まで移動し、書泉グランデにて書泉グランデにてお城の本やらTEAMナワバリンググッズやらを物色。本1冊と「杉山城と仲間たち」&縄張図クリアホルダーをGETし、新宿にてKさんと反省会。お城の話やら何やらで楽しい時間を過ごしました。
 次の日は、一日研究会に参加し、19:30の飛行機で北海道に帰る予定が1時間遅れ、北海道に着いてからもJRが遅れ、自宅に着いたら日が変わって12時半を過ぎていました(--;)
 今度はいつ道外のお城に行けますかねえ?

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シンポジウム「景観史から見た立岩山チャシと上川アイヌの文化」に参加して

 先日の日曜日、タイトルのシンポジウムに参加してきました。うちの坊主くんが例によって「道の駅に行きたい!」というので、午前中は剣淵の道の駅「絵本の里けんぶち」まで行ってきました。道央道を使うと、うちから2時間くらいで着きました。これなら、今度来る時には、名寄や美深・幌加内の道の駅に行って、チャシ巡りもしてくることができそうです。「絵本の里けんぶち」はその名の通り、絵本を読むことのできるコーナーもありますし、絵本自体も売っていました。特産品はもちろん焼きたてパンがおいしそうだったので買ってきてしまいました(^^;) ちょっと寒かったのが難点ですが…

 そのあと南下し、東海大学旭川キャンパスへ。昼食を食べ終わっても、シンポジウムまでちょっと時間があったので立岩山チャシを見に行きました。(うちの坊主くんも「行く!」といってついてきましたが(^^;))
Tateiwayama01Tateiwayama02 4年ぶりですが、チャシの辺りは少し草が伸びていましたが、定期的に草刈がされているようで見学するには支障ありませんでした。壕や土塁を見ていると、今回のシンポジウムのコーディネータである東海大学の北條先生が声をかけてくれて、発掘した際に柵囲いの現物が出たことやそれが焼かれて炭化していた等々詳しく説明して下さいました。お礼を言って車に戻り、荷物を持って今度は玄関ホールで行っている展示を見に行きました。数年前に行われた発掘の様子がパネルで紹介されていて、炭化した柵の現物や、その模型も展示されていました。
 そのあと2階のシンポジウム会場へと向かいました。参加者は20名くらいだったでしょうか。シンポジウムは、初めに数年前の発掘に実際に携わった永谷幸人さん(伊達市噴火湾研究所)の「チャシはなぜつくられ、柵は燃やされることになったのか?」という発表で、そのあと旭川市博物館の瀬川拓郎さんが「上川盆地の景観史」というテーマで発表されました。私の記憶とメモでその発表の概略をまとめたいと思います。どちらもなかなか興味深い発表でした。

◎発表1:「チャシはなぜつくられ、柵は燃やされることになったのか?」(永谷幸人さん)
 ・チャシの壕や土塁の造営には多くの労力が必要で、おそらくコタン総出での作業だったのではないか。
 ・発掘の結果、縄文時代の竪穴住居の跡は3ヶ所あったが、アイヌ文化期の建物跡などはなく、遺物等も出土しなかった。チャシ内部も緩やかな坂になっており、削平など手が加えられた形跡はない。
 ・出土した柵列は堅牢なものだが、石狩川の側にはなく直接視認できない。隠されているよう。
 ・チャシが築かれた時期は、「小氷期」といわれる寒冷期で世情が不安定な時期だった。本州では戦国時代で、乱取りといわれる収奪も行われ、村の裏山に避難場所として「村要害(むらよふがい)」といわれる物を用意していた。立岩山チャシは、アイヌ版「むらようがい」であり、集団成員のよりどころ・地域集団の紐帯・排他性の象徴だったのではないか。
Tateiwayama05 ・戦闘が行われた痕跡がないので、チャシの柵列は戦闘によって燃やされたのではない。しかし、柵列だけではなく、接する土が焼けるほど徹底的に燃やされていることから、過失によって燃えたのではなく、チャシの造営者によって意図的に燃やされたのではないか。
Tateiwayama04 ・このチャシには、北見アイヌとの闘争伝承があるが、のちにはその抗争相手と婚姻関係を結んでいる。また、壕の端には燃えた柵列の炭化材や焼土を埋めて造られた陸橋状のスロープが造られている。これは排他性の象徴である柵列を燃やすことで、敵対者との緊張関係を解消し、スロープを造ることで排他的な存在から開放された存在となったことをしめしているのではないか。このチャシは排他性を示すモニュメントから友好関係・交流関係を示すモニュメントへと変化していったのではないか。

◎発表2:「上川盆地の景観史」(瀬川拓郎さん)
 ・上川アイヌには3つの集団(A石狩川上流グループ、B石狩川下流グループ、C忠別川グループ)があり、各グループ間での婚姻関係はなく、Aは天塩アイヌと、Bは北見アイヌと、Cは十勝アイヌと婚姻関係を結んでいた。
 ・これはサケの産卵場所に関わって集団を造っていたもので、チャシも各集団ごとに持っていた。(Aは突哨山チャシ、Bは嵐山チャシ・オトゥイパウシチャシ・立岩山チャシ、Cは忠別川右岸チャシ、立岩山はCの可能性も)
 ・上川アイヌはサケを和人との交易商品として生活していたので、川に近い低位段丘面に集落を造っていた。
 ・開拓期以降は、入植した和人は耕作に適した中位段丘面に住み、標高の高い高位段丘面は天皇の住まう離宮を建設しようとしたり(中止となった)、この地域の中心的な神社である上川神社を移したり、天皇や神の聖域(?)としていた。川に近い低位段丘面はアイヌへの給与地としたりするなど、開発がなかなか進まなかった。
 ・一方、縄文期の集落を調べると、狩猟採集の生活にあわせ、川の近くや森の近くなど多様な場所に住んでいた。縄文期には富良野方面にも村があったが、アイヌ期になるとサケが捕れないため村がなくなっている。
 ・以上をまとめると
   縄文期→狩猟採集民が中心の生活。生活の場は森。多様性を示す。
   アイヌ期→サケを交易商品とした漁民・交易民としての生活。生活の場は川。一様姓を示す。
   近代→農耕民が中心の生活。生活の場は平坦地。高位段丘面・中位段丘面・低位段丘面と階層性を示す。

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道の駅とチャシの旅 6/30

 前回の記事の通り、6月30日に伊達まで洛中洛外図屏風亘理伊達本を見に行ってきましたが、そのついでに道の駅やらチャシ(今回は一つだけ)に行ってきました。
Img_1648 まずガソリンが少なかったので、行きつけのスタンドに寄ってから札幌南ICから道央道を南へ。樽前SAでGWの時と同じように樽前山を撮影。天気も良かったので、きれいに撮れました。ここで携帯ゲームで白老陣屋を「攻城」。そしてまた、道央道を南に進み室蘭ICで高速を降り、再び携帯ゲームで「攻城」すると、「モロラン陣屋」「館山チャシ」を攻略。次に伊達方面へ向かいました。
Img_1675Img_1679 すると途中で「史跡北黄金貝塚公園」の看板が… 実は、ここは以前から気になっていた所で、「寄ってもいい?」と聞くと「いいよ。」という返事だったので、寄ってみました。北黄金貝塚は1948年に発見されたもので、縄文時代前期・中期のムラの跡です。公園内には竪穴式住居貝塚が復元されていて、情報センターでは遺跡の説明やら出土品やらを見ることができます。うちの坊主くんは、それよりも情報センターで見つけた伊達市内のスタンプラリーのスタンプを押すことに興味を持ったようでした(^^;)
 そしていよいよ伊達の開拓記念館へ。洛中洛外図屏風亘理伊達本については前回詳しく書きましたので省きますが、いいもの見せてもらいました(^^) 開拓記念館の窓口の近くでうちの坊主くんが、スタンプラリーのスタンプを発見! 早速、スタンプを押して、開拓記念館の近くにある観光物産館・宮尾登美子文学記念館・黎明観・カルチャーセンター・総合体育館でもスタンプGET!進行方向にはもうまなびの里と有珠善光寺しかラリーポイントがなかったので、そちらに進むことに。
Img_1697 でもまなびの里は見つけられず通り過ぎてしまったので、有珠善光寺へ。ここに寄ったのは結婚する前だからもう10年ぶりくらいでしょうか。久しぶりに見たら、屋根の茅がずいぶんとくたびれたように感じました。これで伊達市のスタンプラリーはスタンプを8つGETです。
 そのあとは道の駅巡りです。まず「あぷた」へ行きスタンプGET。次は「とようら」でもスタンプGET。ここには内藤大助のコーナーや豊浦町の立体模型がありました。いちごもおいしそうでしたが、高いので購入は断念。リアル攻城の前に携帯ゲームでカムイチャシを「攻略」。
Img_1706Img_1713 そして豊浦町礼文華のカムイチャシへ。ここも訪れるのは10数年ぶりです。昨年、カムイチャシが国指定名勝ピリカノカに認定されたということで、看板なども新しくなったようです。ただ、ここの階段が結構急だし長いし恐かったです。はあはあいって登り終えると、上にはカメラを持った人が二人も。後から一人増えて三人になりましたが、どうも「撮り鉄」の方ようでした。階段を登ったちょうど上から見ると、室蘭本線が真っ正面から見えるので、そちらから来る列車を狙って待機していたんでしょう。私はそれには目もくれずチャシの方に行ったので、「あいつはなんだ?」と思われたかもしれません(^^;) このチャシも壕は結構はっきりしているんですが、草がかなり伸びていて写真ではよくわからないかも…
Img_1723 そのあとは北上して道の駅「とうや湖」へ。ここは周りになんにもありませんでした(^^;) そしてまた北上したら羊蹄山が見えてきたので一枚撮影、きれいでした。そして道の駅「230ルスツ」へ。ここで携帯ゲームで「攻城」したら、なんと泊村の「茶津チャシ」が攻略できました。直線距離だと45kmほどあるようですが(^^;)
 そのあとルスツリゾートを横目に見ながら「望洋中山」を目指しました。スタンプ帳には開館時間17:30までとなっており、すでに18:00を過ぎていたのでだめだろうと思っていたら、なんと18:30まで開いていました(^^)V 名物の「あげいも」もGET。おいしゅうございました。ダメ元でここでも携帯ゲームで「攻城」したら「この周辺には城はありません」と出ました。仕方ないと思いつつ、ちょっと悲しい気分でした(-_-;)
 あとはひたすら国道230号線を走って帰りました。この日の収穫は、(1)洛中洛外図屏風亘理伊達本、(2)北黄金貝塚公園、(3)チャシ・1か所、(4)道の駅・5か所(合計28か所)、(5)携帯ゲームで攻城・5か所(合計18城)でした。

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いちご狩りとチャシの旅 6/16

 去年の今頃は「いちご狩りに行こう。」と言っていたのに時期を逸して、結局サクランボ狩りになってしまったので、今年こそは!ということで、先日北広島市の某農場にいちご狩りに行ってきました。
Img_1551 この農場はホームページやブログもやっていて、いちごの生育状況なども載っていたので、それを見て16日(土)に行くことにしました。(翌日の日曜日は天気が悪そうでしたので) いちご狩りなるものにはじめて行ってきましたが、なかなか楽しいものです(^^) うちの奥さんも坊主くんも楽しそうにいちごをとっていました。よく見るとまだ下の方が赤くなっていないものもあって、出来るだけ全部赤くなっているいちごをとってから、畑の端のイスに座っていちごをいただきました。出来るだけ赤いものをとったつもりでしたが、酸っぱいもの甘いものがあるものですね。でもとてもおいしかったです。ここのいちごは「けんたろう」という種類のようです。そのあと、もう一度持ち帰り用のいちごをケースいっぱいにとってから、車に戻りました。

 実は、この日はもう一つ(二つか)目的があって、せっかく北広島に来たので、恵庭・千歳にも足を伸ばして、携帯ゲーム「発見!ニッポン城めぐり」でこの周辺のチャシを「攻城」すると同時に、この周辺のチャシにしばらく行っていないので「リアル攻城」もしてみようと思っていたのです。特に、恵庭の島松Cチャシと千歳のシュトクンネのチャシは写真を撮りそびれていたので、その写真を撮りたかったのです。
Img_1559Img_1558 まず、北広島の島松川左岸チャシ(島松Aチャシ)を農場の駐車場で「ゲームで攻城」してから、車で移動して「リアル攻城」です(^^;) 島松川左岸チャシ民家の裏山なので、この日も遠景を撮影したのみ。その道路をはさんで反対側にある小山が恵庭市の島松Cチャシです。ここは牧草地造成の際に整地してしまったとのことなので、遠景のみ撮影です。
Img_1567Img_1564 その道をまっすぐ進んで道央道と国道36号線をくぐったところに国史跡「島松駅逓所」、その横に「寒地稲作発祥の地」の碑やクラーク博士がここで学生と別れ、あの名言「Boys, Be Ambitious(青年よ、大志を抱け)」を残したことを記念した碑もあります。
Img_1561a そしてこの駅逓所前から南側に見える小山が島松チャシ(島松Bチャシ)です。以前と比べると中央部が崩落しており、土嚢で土留めしてありました。

Img_1569 さて、ここでまた「ゲームで攻城」すると恵庭の茂漁チャシが攻略できたので、車で移動し「リアル攻城」です。茂漁チャシを訪城するのは14年ぶりくらいですか。小雨が降ってきたので遠景を撮影しただけです。手前にある孝子堂宝物館も以前のままでした。
 昼も過ぎお腹もすいてきたので、恵庭の道の駅まで移動し、その駐車場で昼食です。道の駅で売っていたパンも買って食べてみましたが、おいしかったです(^^)

Img_1577Img_1576 そのあとは千歳市に移動し、青葉公園へ。携帯ゲームでは登録されていませんが、その近くにある千歳神社はフレドイヒのチャシ(フレトイのチャシ)跡です。以前来た時には壕が浅く感じましたが、今回改めて見て見ると石碑の後ろの方にある壕は深さ1mほどもありました。(草ボウボウでしたが(^^;))ある論文では、壕が二条あるとのことでしたが、もう一条はそれらしいところはあったものの判然としませんでした。
 そのあと神社にお参りすると、その周辺に12ある石神さまを巡るスタンプラリーがあったので、しばし石神さま捜しをしました。全部スタンプを押すと社務所で絵はがきがもらえるそうですが、今回はパスして、次の目的地へ。
Img_1581 次は携帯ゲームにもあるアッテウシのチャシです。また「ゲームで攻城」してから「リアル攻城」ですが、このチャシは自衛隊の演習地内にあるので、下から眺めるだけです。支笏湖方面へ向かう道道16号線と道央道が交わるあたりの北側の台地上にあり、近くの公園から遠景を撮影して次へ。

Img_1585 次はペサのチャシですが、また「ゲームで攻城」してから「リアル攻城」です。道道16号線をさらに支笏湖方面に進み、蘭越浄水場がある名水ふれあい公園に車を停めました。以前来た時には浄水場の脇の道を進むと千歳川に架かる橋があり、橋を渡った向かいの山がチャシだったんですが、今回は道が閉鎖されていてそちらに進めません。仕方ないので公園に戻り、そちらから遠景を撮影。(こればっかり)
 そしていよいよ最終目的地のシュトクンネのチャシへ。再び道道16号線を支笏湖方面へ進み、途中曲がろうと思ったところで、道が閉鎖されていて進めません。結局今回は断念し、またの機会に再チャレンジすることにしました。
 そのあと、千歳の道の駅に寄ってちょっと休憩。この時点でまだ4時くらいでまだ時間があるので、国道254号線側に出れば、そちら方面のチャシを「ゲームで攻城」出来るんじゃないかと考え、移動開始。安平町追分付近で夕張の滝の上チャシを「ゲームで攻城」、さらに北上し由仁町付近で岩見沢のクッタリチャシを「ゲームで攻城」、どちらも12年前にリアル攻城済みなので、今回はそのまま帰途につきました(^^;)
 北広島・恵庭・千歳方面のチャシを回るのは十数年ぶりでしたけど、壕を確認できたのはフレドイヒのチャシのみでした。う~ん残念。

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最近のマイブーム「発見!ニッポン城めぐり」

 最近はまっているもの。それは、「発見!ニッポン城めぐり」という携帯のゲームです。携帯のGPS機能を使い、現在いる場所とその近くにある各城に設定されているエリアが一致すれば、攻略完了。GPSで城攻め(といってもボタンを押すだけ)した回数でその城の城主になることができたり、官位や異名をもらえたり、攻城や行軍すると、軍資金が増え、それで自分の城を自分好みに作り替えたりすることもできると、いろいろと楽しめるポイントがあります。

 はじめて一週間ほどですが、11城攻略しました。最初は自宅で城攻めしたら、市内の江別チャシ・江別第二チャシを攻略。そのあと、厚別に買い物に行ったら、札幌市内のチャシではなく、隣の北広島市の中の沢チャシが攻略できました。翌日、職場で城攻めすると、20数km離れているハママシケ陣屋を攻略できたのでびっくり!(あそこは周囲に他の城もないのでエリアが広く設定されているんでしょう。) で、その翌日に会議で出かけた先で城攻めしたら、10数km離れた浦臼の鶴沼チャシを攻略できました。
 という感じで一週間で5城攻略できましたが、普段はほとんど自宅と職場を行ったり来たりするだけで、出張などもほとんどない職種なので、なかなか他の城を「城攻め」することができません。なので、自宅と職場の間を移動して、行軍回数を増やすことしかできません。でも行軍回数により城主(1位)・城代(2位)・城番(3位)になれるとのことなので、今の調子でいくと二か所の城主になれるかも(^^;)
 攻城数により「官位」を獲得できる機能もあり、他にも異名(ちなみに今は「槍弾正」)が獲得できたり、家臣を集めることが出来たり(今は細川忠興一人)と、城好き・歴史好きには楽しめるポイントがいろいろあります。しばらくこのゲームにはまりそうです。
 ただちょっと不満も。各都道府県ごとに40~80城くらいの城が設定され、全国で3000城登録されているようですが、北海道は64城。東北六県+新潟県と同じくらいの面積がある北海道で他の都府県と同じくらいの数というのは、ちょっと少ないのではないかと。それから、地図にポイントしてみたわけではないのではっきり言えませんが、チャシの多いはずの道東(日高・十勝・釧路・根室)のチャシの数が少ないように感じます。現在の人口比に合わせたんでしょうか? 厚真の桜丘チャシ、陸別のトラリチャシ、津別のツペットウンチャシ、小清水町のアオシマナイチャシ、標津のタブ山チャシなどは入れてほしかったですね。

 昨日(土曜日)に6城攻略しましたが、それはまた次に…

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道の駅とチャシの旅 4/29

 え~、書きかけのまま放置しておりました(^^;)
 もう1ヶ月以上前ですが、GWの4月29日がmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシの旅に行ってきました。(とはいえ道の駅の方はほとんど付け足しのようでしたけど(^^;))

 まずは江別西ICで高速に乗り、南下。樽前SAで休憩すると、階段の上に展望台があるようなので、上ってみると…
120429006樽前山が一望です。ちょっと曇っていたのが残念でしたが(写真は展望台からちょっと降りたところから撮ったものなので、真ん中に邪魔者が移ってますが、展望台からはきれいに一望できます。)

120429032_6◎一城め:【白老仙台藩元陣屋】
 ここに行くのは本当に久しぶりに来ましたが、やっぱり土塁は立派です。GWだっていうのに人っ子一人いませんでした(^^;) しかも前日は晴れてとても暖かかったのに、この日は曇っていてでも寒かった…

120429027_2◎二城め:【白老チャシ】
 仙台藩陣屋内にある塩竃神社がチャシです。遺構は何もありませんが。ここは何度も登っているので下から眺めただけで登りませんでした。

 そのあと、白老チャシの前を通って裏の方に行き、火薬庫跡の土塁を見てから駐車場に戻り、虎杖浜まで移動しました。そして以前にも行ったたらこ屋 虎杖浜さんで昼食。たらこ丼、おいしゅうございました…

120429033◎三城目:【アロヨチャシ】
 出かける前の資料収集段階で、このチャシのことが載っているものを見つけ、場所も確認していました。行ってみると、民家(?)か、何かの会社の建物があり、その裏山がチャシの場所のようでした。入り口には立入禁止の札があったので、遠景を撮影しただけで近づくのは断念しました。

120429040◎四城目:【カムイエカシチャシ】
 ここも何度も行ってます。今は灯台になってます。灯台を建設する工事の際に発掘調査も行われています。先日、道立図書館で見てきた「北海道のチャシ」という40年ほど前の記録映画のようなものにも、このチャシの発掘の様子がありました。
 GWの時期は草が枯れていて、壕跡がわかりやすくなってます。でも壕というより段のような感じですが…

120429042◎五城目:【カムイミンタルチャシ】
 ここはカムイエカシチャシのすぐ向かいにあります。笹藪がひどくてのぼれないので、カムイエカシチャシから撮影しました。チャシは写真を撮った側じゃなくて、てんっぺんの向こう側の海に面し方にあるようですが。

120429066◎六城目:【南部藩モロラン(室蘭)陣屋】
 ここも数年ぶりですが、土塁も壕も立派です。建物跡が平面復元されてます。裏側の壕に折れがあるのが不思議… 折れの部分に四角い土台があるのが何なのか未だにわかりません。

☆一駅目:【みたら室蘭】
 ここにきてやっと道の駅巡りスタートです(^^;) ここは室蘭の白鳥大橋のたもとにあり、白鳥大橋の記念館にもなっているようです。たくさんの船の模型が展示されている休憩所があったり、漁に使う浮きを使ったアンパンマンの人形があったりしました(^^;)

120429082◎七城目:【モロラン陣屋ポロシレト勤番所】
 モロラン陣屋から少し離れた所にあり、今は崎守神社になってます。数年前の夏に、一度来たことがありますが、その時には草が伸びていて、土塁の形などもわかりにくかったのですが、この時は草も枯れていて、だいぶわかりやすかったです。
 勤番所跡と砲台跡の土塁が残ってます。写真は砲台跡の土塁です。

120429093◎八城目:【館山チャシ】
 本当は、このあと伊達の道の駅に行く予定でしたが、かなり日も暮れてきたのでまずは館山チャシと有珠周辺のチャシに行ってしまうことにしました。
 館山チャシに行くのも数年ぶりですが、やはり二重堀が立派です。タコの滑り台に目をとられていると見逃します(^^;) 手前の公園部分だけ見て、見つけられなかったと言っている方もいらっしゃるようですが、公園の一番奥の先端部分に行く途中にありますので、ずっと奥まで足を運んで下さいね。
 堀底に枯れ葉が積もっているので、今の時期は堀と土塁がわかりやすいと思います。でもやっぱり紅葉の時期、特に色づいた葉が堀にちりばめられている時期が一番きれいだと思います。

こんな感じ

120429097◎九城目:【ポンチャシ】
 伊達市の有珠にあるB&G海洋センターのパークゴルフ場の奥にありますが、小山というか一見古墳です(^^;) こぢんまりしてます。だからポン(小さい)チャシなんですが。

120429098◎十城目:【ポロチャシ】
 上のポンチャシのすぐ近くにあります。ポンチャシに対して、ポロ(大きい)チャシです。確かにポンチャシに比べると高さも広さもありますが、整地されて原形を失っているそうです。

120429101◎十一城目:【チャシコツ】
 ここも有珠のポンチャシ・ポロチャシの近くで、小学校の向かいの山です。チャシコツとは「チャシ跡」という意味なので、固有名詞というより普通名詞なんですが、こう呼ばれています。古い資料ではここもポロチャシと呼ばれていたようです。遺構は残っていないようですが。

120429104☆二駅目:【だて歴史の杜】
 ここにきてやっと道の駅二カ所目。以前はびっくりドンキー側にあったんですが、行ってみると戸は止まっているし電気はついていないし… おかしいとおもって探してみたら、大手門のすぐ近く、駐車場の中央に移動していました。店も広くなっていましたし、鎧のレプリカも。

☆三駅目:【そうべつ情報館i】
 特産品の直売所や火山防災学び館が併設されているそうですけど、時間も遅くなってきたので、スタンプだけ押して退散しました(^^;)

☆四駅目:【フォーレスト276大滝】
 ここに着いたのは、もう閉館する5分ほど前。ぎりぎりでした(^^;) ログハウス風の建物なので、すぐわかると思います。びっくりしたのは、道の駅じゃなくて周りにまだ雪がいっぱい残っていたこと。もう夕方ということもあって、6℃くらいしかありませんでした。もう1ヶ月以上前ですから、今は残っていないでしょうけど、この冬はほんと雪が多かったんだなあと思いました。

 とこれで今回は終了です。はじめて全国一斉お城の日に参加させてもらって楽しかったです。

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中川町のオフイチャシ、天塩川流域で最大規模(道新 11/9)

 11/9付けの北海道新聞にチャシの記事が載っていたので、遅ればせですが紹介したいと思います。
 同記事によりますと、上川管内中川町佐久にある「オフイチャシ」遺跡が天塩川流域に現存するチャシで最大であることが、8日に終了した町教委や道開拓記念館の発掘調査で分かったそうです。調査の結果、面積は約2500平方メートルで天塩川流域の他のチャシの倍の大きさで、地層から16~18世紀の遺跡と見られること、遺跡内の斜面にはU字形の三つの壕が確認されるそうです。
 16~19世紀にかけてアイヌ民族はサハリンやその対岸のアムール川下流域の少数民族と蝦夷錦などの衣服や服飾品を交易しており、天塩川を通じて日本海にも宗谷海峡にも近いという地理的条件や遺跡の規模が大きいことから、調査グループは、このチャシが北東アジアとの交易拠点だった可能性があるとみて、土壌を分析して交易品や食品の痕跡を探るとのことです。

 このチャシの場所を確認してみると、天塩川をかなり遡った内陸にあるので、なんでそんな所に?と思うかもしれませんが、当時の蝦夷地は道路は整備されていないので水路が主な交通路だったのでしょうね。そう考えると天塩川が丁度カーブした所にあり、上流も下流も見渡すことができますし、支流の安平志内川との合流地点もすぐ横ですのでこちら側も見渡せます。絶好の遠望地だったに違いありません。
 厚真に行った時にも、かなり奥に行った所にヲチャラセナイチャシがあり、何でこんな所に?と思いましたが、こちらも交易路があったとの学芸員さんの説明に納得したことがありました。
 私が今まで見たチャシも多くが川や海・湖などの水辺に面していることが多く、水上交通の要衝に位置していたと考えると納得できるかもしれませんね。

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穂別・平取チャシ巡りの旅 11/6

 この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
Blog01 まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かいました。最初に訪れたのはオビラルカのチャシです。ここは穂別高校のグラウンドの端の方に残っているので、高校の駐車場に車を止めさせてもらい、チャシの場所に向かいます。
 しかし10年前に訪れた時とは様子が変わっていて、以前はグランドの端の方に雑木林があり、そこがチャシだったんですが、グランドの手前にはテニスコート?のフェンスができ、雑木林もなくなって胸くらいまで伸びた草藪に覆われていました。これじゃあ何も確認できないなあと思いつつ、草藪に突入すると10年前と同じチャシの看板が… ただし、看板の枠が朽ちて看板の鉄板は地面に落ちてましたが(^^;) 仕方ないので、看板を拾って元あった場所において写真撮影です(^^;)
Blog03 さい先の良くないスタートですが、次の中島のチャシに向かいました。久しぶりなのでちょっと迷いましたが、無事チャシの場所に到着。ここもやはり看板の枠が朽ちて地面に落ちていたので、看板を拾って写真撮影(^^;) 看板のある辺りの手前に若干窪んだところが横に伸びていたので、これが壕跡なのでしょう。その先が曲輪部分になりますが、今は道路(かつては鉄道が通っていたらしい)で2つに分断されています。しかし、そこがつながっていたと考えると、チャシとしてはかなり広くそこそこ大きな規模のものといえると思います。
Blog04 そのあと穂別中心部に向かい、喫茶店で昼食休憩を取ってから、第3のチャシに向かいました。次は、オソウシのチャシです。ここは、以前訪れた時と同様、比較的大きな壕を確認できました。ここの壕は深さ1~2mで弧状にカーブしています。看板もここだけはしっかり健在でした(^^;) 壕の先の曲輪部分も広く、規模は大きいです。北側にある横の沢も深く、自然の壕のようでした。ちょっとよく分からなかったのが、弧状壕の手前に北側の沢の方に落ちていく壕のようなものが見えることでした。ただ途中で途切れていて竪堀のようになっているので、壕なのか違うのかよくわかりませんでした。なかなか規模の大きいいいチャシでした。
Blog08 次に向かったのはノットカのチャシです。ここは先日も下見で訪れましたが、ちょっと急な砂利道を50mほど登り、右側の台地の上にあります。弧状壕は浅く、壕で囲まれた曲輪部分もせまい小規模なチャシです。ただ鵡川が一望できますので、砦というより漁場の見張り場的なものだったと思われます。ここも看板が落ちてましたので、拾って写真撮影しました(^^;)
Blog09 穂別最後のチャシがイナエップのチャシです。ここが穂別のチャシではいちばん規模の大きい見応えのあるチャシですが、やはりあの切り通し状の崖を登るのは厳しいということになり、下や横から眺めるだけにしました。左側の横から見ると壕があるのは確認できましたが、写真で見るとよく分かりませんね(^^;)

Blog10 そのあとは平取に向かいました。最初に訪れたのはユオイチャシです。ここは二風谷ダムのすぐ近くにあり、ダム建設以前に耕作で削平されていて、ダム建設の際の発掘調査で二重の壕があったのが分かったそうです。それでダム建設の際に復元されたようですが、それがなんと壕も曲輪もアスファルトで固められています(--;) 他の4人も、「これはちょっと…」という感じで見ておられました。Blog14
 次はポンカンカンチャシです。ここは沙流川に面した細長い舌状台地を横切るように4条の壕が見られます。奥の方に1条、先端部に3条ありますが、先端部の3条のうちいちばん奥の1条は浅くなっており、ちょっとわかりにくいです。根元の1条がいちばん深く分かりやすいです。いずれにしてもそれほど規模の大きいものではありません。ですが平取町のチャシのうち、このチャシがいちばん遺構が分かりやすいチャシです。このチャシの道路を挟んで向かいにもシラッチセチャシがありますが、ここは登らず全景写真を撮っただけで済ませました。
 このあと日も落ちてきたので、二風谷にある沙流川歴史館に行きました。ここには先にも出てきた、ユオイチャシとそのすぐ近くにあったポロモイチャシ(破壊)そしてその間にあった集落跡の二風谷遺跡の発掘の様子を復元した模型があるので、それを見てもらおうと思って行ったのですが、丁度「沙流川流域のチャシ跡」というパネル展をやっていて、平取町の全てのチャシの写真や様子をパネルで分かりやすく展示していました。チャシを見てきたあとだったので、とても良かったです。
 またその展示をまとめた冊子があったんですが、係の方にお願いしてその冊子を5人分分けていただきました。以前ここに来た時にも、平取町内のチャシ跡を表示した地図を分けていただきましたので、本当にお世話になってます。それでいて入場無料!少しお金を払いたいくらいでした(^^;)

 ということで、7つのチャシを巡り、最後は札幌に戻って反省会をしました。普段はできないようなお城についての濃~い話をたっぷりすることができました。楽しかったです。また来年も一緒にチャシ巡りをしたいものです。

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道の駅とチャシの旅 11/3

 道の駅とチャシの旅第4回です。実はこの前の旅の後、うちの坊主くんがしきりに「メロン熊と写真を撮りたかった。」と言っていたので、夕張方面に行って、夕張から国道274号線を進み、日高の道の駅、それから南下して平取町北部のチャシ巡りをし、今度は北上して占冠の道の駅と回ることにしました。
Blog01 まずは夕張ですが、せっかくなのでいくつかの観光地を回ってみることにしました。まずは夕張鹿鳴館です。時間の関係で中には入りませんでしたが、なかなか趣のある建物でした。
 次は、うちの奥さんが急に行きたいと言いだしたので、予定になかった花畑牧場のショップに行ってみましたが、どうもお休みのようでした。家に戻ってから調べたらなんと10/31から冬季休業とのこと、残念…… せめてもう少し雪が降るくらいまでやって欲しいですね。敷地内には所ジョージさんのコレクションを展示した所や、映画『北の零年』に関する展示もあるみたいなので、来年こそはもう一度行きたいです。
Blog02Blog02b 次はこれもうちの奥さんの希望で「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」に。実はこの映画、私は見たこと無いんですけど、映画で使われた炭鉱住宅や黄色いハンカチ、赤い車などが公開されていました。最初行った時には、人が全然いなくて寒々としていたんですけど、その後続々と見物客が来ていました。根強い人気があるようですね。

Blog03 そのあとはいよいよ坊主くん待望のメロン熊の本拠地・北海道物産センター夕張店へ。車から降りると、玄関に早速いました(^^;) うちの坊主くんも大喜び、早速念願の写真撮影です。そのあとも、ジャンプしたりするとメロン熊が同じ事をしてくれたり、追いかけられたり、すっかり楽しんでいました。(本当にありがとうございました。) 大人もメロン熊のマグネットやらいろいろ買い込んで楽しんでました(^^;) ただ残念なのは、前回行った時にはあったかわいいヴァージョンのメロン熊マグネットがなかったこと。物産センターのホームページを見ると、品切れになっているようでした。

 メロン熊に別れを告げ、国道274号線を東に進み、道の駅「樹海ロード日高」へ。ここは建物の中にそば屋やスーパーなどもありました。スタンプを押して、ちょっと休憩したあとは南下して平取町北部のチャシを回る予定でしたが、道の駅の壁にあった観光マップに「ウシャップラム古戦場」という文字があったのが気になり、行ってみることにしました。道の駅の南側にある沙流川河畔にあるようなので、ぐるぐるちょっと迷いながら見つけました。どうやらこの辺りでアイヌが戦ったという伝説があって敗走する兵が「ウシャップラム!ウシャップラム!」(追われるから逃げろ)と叫んだのが、本町の旧名「右左府(ウシャップ)」の由来の一つとも言われているそうです。
 そのあと日高町にいったん別れを告げ、南下して平取町へ。まずは以前平取を回った時に時間切れになったイワチシチャシです。ここは農家の畑を横切らないと近づけない位置にありまして、結局近づくのは断念して帰りに遠景写真を撮ることにして、次に進みました。
Blog04 次はオタリオマップチャシです。ここは近くでよく見ると尾根の先端から数m後ろに壕らしき窪みがありました。少し手前に尾根状の上る道があったのを思い出したので、そこから登りチャシの方に近づこうと思いましたが、笹藪が邪魔して近づけません。横の方から回ると壕のようなものがあったのでこれかと思いましたが、底の方を水が流れていたので、どうやら自然の沢のようでした。結局壕の所には近づけずじまいでした。
 次はフレナイチャシです。ここは以前来た時にそれらしい台地を見つけましたが、時間がないので遠景だけ撮って通過した所でした。今回行ってみると、台地上にのぼる道があったので行ってみると、広い畑?になっていました。畑の端の方に壕がないかと歩いてみましたが、なんとなく窪んでいる所は何か所かみつけましたが、結局よくわかりませんでした。
Blog05 そのあと鉄道記念館というのを見つけたので立ち寄ってみると、古い電車の車両や機関車が野外に展示してありました。どうやらここは旧国鉄富内線が走っていたようで、振内駅の建物を改修して作られたのがこの記念館のようです。
 そしてイワチシチャシの遠景写真を撮って日高町の方に戻りましたが、丁度平取町と日高町の境目辺り、岩知志ダムの少し手前に灯籠のような物が何十基も並んでいる光景が…… 何だろうと思いましたが、どうやら石材屋さんのようでした(^^;)(写真取り損ないました)
 そして日高町を通り越して占冠村へ向い、道の駅「自然体感しむかっぷ」に到着。ここはコミセン(?)に隣接しているようで、丁度文化祭帰りの人でいっぱいでした。その向いに道の駅の建物がありましたが、結構広い休憩コーナーやらショップやらがありました。今日の旅はここまでで、もうすっかり暗くなっていましたので、先日開通したばかりの道東道の占冠~夕張間を走り、帰路につきました。
 雪の便りもちらほら聞こえてくるので、今年の道の駅とチャシの旅はこれで終わりかもしれませんね。
 さて、今度の日曜日はお城仲間と1年ぶりの再会&チャシ巡りです。

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道の駅とチャシの旅 10/9

 道の駅とチャシの旅第3回です。この前の3連休の真ん中の日曜日に行ってきました。予定としてはむかわまで高速で行き、そこから北上して日高町穂別地区のチャシを回って、最後に夕張の道の駅に行くつもりでした。来月初めにお城仲間とこちら方面のチャシを巡る予定なので、その下見を兼ねてです。
 そこで、まず道の駅「むかわ四季の館」に行きました。着いてから思い出しましたが、ここは何年か前に厚真・鵡川方面のチャシを行った帰りに休憩に寄った所でした。以前はなかった鈴木章博士(ノーベル賞受賞、むかわ町出身)のコーナーができていました。
 その後途中で看板を見かけた大野商店というししゃもの店に寄って、ししゃもを買いました。(次の日に食べましたがおいしかったです。)
Hatiouji01 次に道の駅で手に入れた地図に「八王子千人同心追悼之碑」というのが載っていたので寄ってみました。地蔵堂の境内の端の方に碑はありました。今から200年ほど前に幕府の命で開拓のため入地したが、異なる気候風土により死者が続出し、その追悼のため30年近く前に建てられたものです。

 そのあと穂別方面に行く予定でしたが、時間に余裕がありそうなので、日高町門別地区のチャシを探してみることにしました。(結果的には、ほとんど場所確認で終わりましたが(^^;))
Tonika01 まずはトニカチャシです。ここは以前も来たことがあり、ここじゃないかという場所も確認していたのですが、採石場の向こう側なので遠慮してそれ以上近づかなかったのですが、今回行ってみると標柱らしき物が見えたので、近づいて確認してみました。すると「北海道指定史跡 門別富仁家墳墓群」と書かれ、その先に階段が見えました。確かトニカチャシはこの墳墓群の近くだったはずと思い階段を上ってみると、草が刈られてはいるものの平らな土地が広がっているだけでした。結局チャシの場所はよくわからなかったのですが、後から資料を見なおしてみると、どうもその端の細長い台地の先のようでした。(ちゃんと資料を確認しなくちゃダメですね(^^;)) そのあとエサントンニチャシ・ピスンチャシ・ピロレトフチャシ・キムンチャシ・エショロカンチャシを探しましたが、場所は確認したものの線路の向こうだったり、簡単には登れそうになかったので、今回はあきらめ次に進みました。
 穂別に行く前に、以前探索したことのある平取町のシウンコツチャシに寄ってみましたが、草が茂っていて壕跡を確認できませんでした(--;)
 そしていよいよ穂別地区です。まずはイナエップチャシです。ここは穂別のチャシの中では大きな壕跡が確認できるチャシですが、以前行った時には台地の先端を切り通し状に切断した道路側の急な崖を登って大変だったので、下から登れないかと思い、チャシの下の方に行ってみましたが、動物よけなのか網が張ってあってそちらからは登れない状態で、時間もないので次に進みました。
Nottoka01 次はノットカチャシですが、ここはこの日唯一壕を確認できたチャシでした。10年前にあった看板が無くなって枠だけになっていましたが、浅い壕が半円状に伸びていました。
 次はチチャップチャシです。10年前は場所がわからずじまいでしたが、今回は「北の遺跡案内」で、場所を確認していったので、それらしい台地を発見しました。ただちょっと簡単には登れそうにないので、場所確認だけでした。それから、いくつかチャシを回りましたが、時間もないので場所確認で終わってしまいました。
 5時近くなって暗くなってきたので夕張方面に向かいました。あと3~4kmで夕張の道の駅というところで、「北海道物産センター夕張店」というのがあったので寄ってみました。入ってみて気がついたんですが、ここはあの「メロン熊」の総本山でした(^^;) 玄関に入るとメロン熊の着ぐるみがお出迎え、うちの坊主くんは大喜びでした。結局メロン熊のグッズも買わなかったし、写真も撮らなかったんですが、あとから後悔しました。うちの坊主は、「また行きたい」「メロン熊と写真を撮りたかった」と言っているので、雪が降る前にもう一度行きたいですねえ。
 そして最終目的地・道の駅「夕張メロード」に到着。ここは、スーパー(JA)に併設されたもので、ちょっと落ち着かない感じでした。

 ということで、今回行った道の駅は2カ所で合計17カ所。道の駅とチャシの旅というよりは、チャシの旅(おまけ:道の駅)という感じでした(^^;) あと、日帰りで行けそうなのは、日高方面の新冠・三石か日高・占冠、上川方面の旭川・当麻・東川・美瑛、後志方面の余市・ニセコ・京極等、胆振方面の室蘭・伊達・虻田あたりですか。雪が降る前にもう一、二回行きたいもんですね。

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