« 2021年1月 | トップページ | 2021年3月 »

NIFTYの遺産(106)~オランジュ家系図

98年8月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○○ さん、○○○○さん、こんにちは。

>>ところで、ウィレム1世以前のオランジュ家の系図って、わからないんでしょうか?

 わからなかったので、例によって困ったときの「WW-Person」で調べてきまし
た。(インターネットで系図が調べられるなんて...(^^))

03_orage

 私もレナトゥスの母親はオランジュ公家の人だと思っていましたが、調べてみ
たら父親の後妻だったようです。レナトゥスから後は○○○○さんが仰るとおり
彼の父方の従弟ウィレム1世に引き継がれるわけです。(現在もオラニエ公は王
位継承者の称号のはず)

 どうやら、オランジュ公位はジャン3世の妻マリーの系統から引き継いだもの
のようですが、マリー以前については出ていませんでした。

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(105)~カスティリア王ドン・ペドロ

98年6月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○ さん、はじめまして。

>> 最近青池保子著のコミック「アルカサル-王城-」にハマっている者です。

 おお、お仲間ですねえ(^^) 続きはどうなるのか私も非常に気になってます
(^^;)

>>りません。メリメの「ドンペドロ1世伝」も読んでみたのですが、分からな

 あ、そんな本があるんですか? 翻訳ですか? それだったら読んでみたいなあ。
よろしかったらもう少し詳しく教えていただけませんか?

>>1.14世紀後半のカスティリアの正式国名はレオン=カスティリアなのか、
>>  カスティリア=レオンなのか。

 正式国名はよくわかりませんが、私がよく見かけるのは「カスティリャ=レオ
ン」の方ですね。

>>2 カスティリア王ドン・ペドロ1世以降カトリック両王までの系図。エン
>>  リケ2世の孫とドン・ペドロの外孫が結婚しているが、その血統は伝え
>>  られているのか。

02_don-pedro

 ということで、イザベル1世はドン・ペドロの外孫キャサリンの孫にあたりま
す。
 また、ドン・ペドロの三女イザベルはイングランド王族のヨーク公エドマンド・
オヴ・ラングリーと結婚していますが、イザベルの曾孫のイングランド王エドワ
ード4世の娘エリザベスを通して、その血統はその後の王家(テューダー朝、ス
テュワート朝、ハノーヴァー朝)に伝えられていますので、現女王のエリザベス
2世もドン・ペドロの子孫になります。

>>3 ドンペドロ1世の3人の娘、ベアトリス、コンスタンシア、イザベルの
>>  その後について。特にポルトガル王家との婚約を破棄された長女ベアト
>>  リスについて。

 コンスタンシア、イザベルについては上記の系図の通り、イングランド王族の
ランカスター公ジョン・オヴ・ゴーント、ヨーク公エドマンド・オヴ・ラングリ
ー(ブラック・プリンスエドワードの弟)と結婚しています
 ベアトリスについてはよくわかりませんが、父ペドロと同じく1369年に死
んでいるようです。


>>4 現スペイン国王ファン・カルロスの血統に多少なりともドン・ペドロ1
>>  世のものは含まれているのか。

 カトリック両王の血統ですが、その娘ファナはハプスブルク家のフィリップと
結婚し、ファナの長男カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の子孫がスペイ
ン王位を継承したので、その後のスペイン王家のハプスブルク朝・ブルボン朝に
カトリック両王の血統は伝わっています。ですから、現スペイン王ファン・カル
ロス1世もドン・ペドロの子孫になります。
 余談ですが、ファナの次男フェルディナント1世の子孫はオーストリアのハプ
スブルク家となりましたので、オーストリアの女帝マリア・テレジアやその娘で
あるフランス王妃マリー・アントワネット、あるいはオーストリア帝国「最後」
の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もドン・ペドロの子孫ということになります。

 

 

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(104)~Black Princeの系図

98年5月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○○ さん、こんにちは。

>> で、リチャード2世ですが、結局、どうだったのでしょうか?

 どうだったんでしょうね? よくわかりませんが、言われているほど悪い王だ
ったのではないような気がします。リチャード3世もそうですが、結局打倒され
た側ですから、打倒した側は正当化するために前の王はこんなに悪いヤツだった
んだあと宣伝するでしょうしね。

>> で、ブラックプリンスの系図がいまいち分かってない私でした。

 誘い水ありがとうございます(^^) それでは、とりあえずリチャード2世の従
兄弟までの系図を...

01_richard3_01

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(103)~金羊毛騎士団とハプスブルク家

97年2月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○ さん、こんにちは。
どうも、おひさしぶりです。また系図の部屋の方にも遊びに来て下さいね(^^)

>> 私も遂にインターネットを始めました。
>>日々、外国の歴史関係のホームページ(以下HPと略)を荒らして(?)いますが、

 お~、そいつは! 私の時々のぞいているんですが、何しろ語学力がついてい
かなくって...(^^;) ホント言葉通り「のぞいている」だけになってます。

>>・金羊毛騎士団の団長は、今も「ブルゴーニュ公爵」・

 これは面白いですねえ。既に有名無実の称号がこんなかたちで生き残っている
とは。さすが、ヨーロッパ屈指の名門という感じですね。

>>家臣による構成は、中世以来の「金羊毛騎士団」と変わりません。それにして
>>も、ハプスブルク=ロートリンゲン家からは、当主のオットー大公以下19名の
>>団員がいるわけですが、その内の11名の出自が解りません。「~・サルヴァト
>>ール」はおそらくトスカーナ大公家の者だと思いますが、確証を得るだけの系
>>図がありません。どなたか解る方、教えて下さい。

>> オーストリア大公フェルディナンド
 これは、オットー大公の叔父マクシミリアン・オイゲンの息子じゃないですか?

>> オーストリア大公ハインリヒ
 上のフェルディナント大公の弟だと思います。

>> オーストリア大公フリードリヒ・サルヴァトール
 トスカーナ大公フェルディナント4世の弟カール・サルヴァトールの曾孫だと
思います。

>> オーストリア大公フランツ・サルヴァトール
 上のフリードリヒの従兄弟だと思います。

>> オーストリア大公ローレンツ
 これはオットー大公の弟ロベルトの息子だと思います。

>> オーストリア大公カール・クリスティアン
 名前からするとフランツ2世の弟カール・ルードヴィヒの子孫でしょうか? 
でも私の系図資料には出てきませんので、確証はありません。

>> オーストリア大公ヨーゼフ
 これはフランツ2世の弟ヨーゼフの子孫だと思います。

>> オーストリア大公ヨーゼフ・アルパド
 これも名前からするとヨーゼフ大公の子孫でしょうか?

>> オーストリア大公アンドル・サルヴァトール
>> オーストリア大公カール・サルヴァトール
>> オーストリア大公ミカエル・コロマン
>> オーストリア大公ミカエル・サルヴァトール
 この5人はわかりません。


 以上を系図で表します。*の付いているのが上に出てきた人物です。

13_habsburg

 とりあえず、私の系図資料からわかるのは以上です。

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(102)~ボナパルト家系図

97年5月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○さん、こんにちは。

 ちょっとゴミレスだけでは申し訳ないので、私の資料からボナパルト家の系図
をアップします

11_-bonaparte

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(101)~明代モンゴルの系図

98年6月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○ さん、こんにちは。

>>これにダヤン= ハーン以降の系図が、いくつか載ってるんです。これらを
>>組み合わせるとチャハルの系図が作れそうですが、あまり後代には及んで
>>いないようです。残念。KUBOさんの参考になるかどうか、もしかしたら
>>かえって混乱するかもしれない…… (^^;a

 情報ありがとうございます。今度道立図書館に行ったときに探してみます(^^)
 以前買った『チンギス・ハーンの末裔 現代中国を生きた王女スチンカル』
(草思社)にもオルドス部の系図が載ってましたけど、ホント断片的ですしねえ...


>> もっとも岡田氏の場合、著書の『チンギス・ハーン』(朝日文庫)にも系図が
>>載っているので、これが岡田氏が研究の中から抽出した系図なのかも
>>しれません。

 ふむふむ、なるほど..._〆(。。)メモメモ・・・

>>●ダヤン= ハーンがフビライの系統でないという説がありますしね。

 オゴタイの系統ではないか?というのを何かで読んだ覚えがあります。『世界
帝王系図集』には下のような系図が出ているんですけど、どこまで正しいんでし
ょう?

10_hokugen

 

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(100)~プロヴァンス伯(2)

同じく98年9月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○さん、こんにちは。

>>同じ人が、アラゴン王としては、アルフォンソ2世であり
>>バルセロナ伯としては、ラモン・ベレンガル5世であり
>>プロヴァンス伯としては、アルフォンス1世であるというのは
>>なれない頭には、破滅的に複雑です。

 同時にいくつかの領地の主であるということは、ヨーロッパではよくあること
です(^^;) 例えば、カスティリャ女王イザベラ1世と結婚したアラゴン王フェル
ナンド2世は、カスティリャ王としては「フェルナンド5世」、ナポリ王として
は「フェルディナンド3世」となりますからね。

>>ところで、プロヴァンス女相続人のドゥースとは、 解放者ギヨームの
>>子孫なのでしょうか?

 私が参考にしたのは『世界歴代王朝王名総覧』(東洋書林)なんですけど、それ
にはレーモン・ベレンガル1世以前のプロヴァンス伯は載っていなくて、「プロ
ヴァンス伯領の女相続人ドゥースと結婚 1112」としか載っていないんです。だ
から、ドゥースについてはよくわからなかったので、困ったときにいつも使う家
系データベース「WW-Person」で調べてきました。それによると、ドゥース以前
のプロヴァンス伯の家系は次の通りです。

09_provence

 この系図の一番最初に出てくるWilhelm IVが○○○さんのおっしゃる「解放者ギ
ヨーム」ではないでしょうか?

  ・WW-Person
   (http://www8.informatik.uni-erlangen.de/html/ww-person.html)

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(99)~プロヴァンス伯

98年9月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○さん、こんにちは。

>>この家系を見ると、プロバンスの領有を示唆する称号
>>(プロバンス伯)が、目につきます。 プロバンスといえば
>>カペー・アンジュー家が勢力をのばす土地ですが、それ以前
>>は、かなりの間、カタロニアと一体であったのでしょうか?

 アラゴン女王ペトロニリャと結婚したバルセロナ伯ラモン・ベレンガル4世の
父ラモン・ベレンガル3世がプロヴァンス伯領の女相続人ドーゥスと結婚したこ
とからバルセロナ伯爵家がプロヴァンス伯領を得たようです。
 そしてバルセロナ伯領がアラゴン王国と統合された後は、ペドロ2世の弟アル
フォンス2世がプロヴァンス伯となり、その孫娘ベアトリスがフランス王弟で後
にシチリア王となったシャルル・ダンジューと結婚してからはアンジュー家がプ
ロヴァンス伯領を所有し、アンジュー家が1481年に断絶した後はフランス王領に統合されました。

08_provence

>>また、プロバンスは神聖ローマ帝国の一部というイメージが
>>強いです。 バルセロナが神聖ローマ帝国の一部になった
>>ことはあったのでしょうか?

 それはないでしょう。あくまでもたまたまバルセロナ伯がプロヴァンス伯を兼
ねただけで、まったく別物と考えられていたと思います。現にアルフォンソ2世
以降は別々に別れてます。

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(98)~ナヴァール王国

98年8月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○ さん、○○○ さん、こんにちは。

>>エリアノール・アキテーヌの息子のリチャード1世(the lionhearted)がナヴァー
>>ル王サンチョ6世の娘ベレンガリアと結婚したとは手持ちの資料にはありますね~
>>リチャード1世がナヴァール王を兼任したとすると、プランタジネット家の支配と
>>なるのでは?

 サンチョ6世には息子のサンチョ7世、娘のベレンガリア・ブランカの3人の
子ども(正確にはもっといましたが)がいましたが、後を継いだのはサンチョ7世
です。彼が1234年に亡くなったときには妹のベレンガリアもブランカも既に死ん
でおり、ベレンガリアとリチャード1世の間には子どもがなかったので、ブラン
カとシャンパーニュ伯ティボー3世の間の息子ティボー4世がナヴァール王とし
て即位しました。ですから、リチャード1世の在世中はサンチョ7世の治世です
のでリチャードがナヴァール王位を兼位したことはありません。
 上に出てくるシャンパーニュ伯ティボー3世の母が○○○さんのおっしゃるアリ
エノール・ダキテーヌの娘マリー・ド・フランスとなります。

07_navarre

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(97)~新田一族の略系図

今回は「新田一族の略系図」です。うちのサイトには似たような系図も載せてありますが…(^^;) 2000年7月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○さん、みなさん、こんにちは。

 新田氏会議室開設おめでとうございます(^^) 南朝ファン&系図オタクの私と
しましては、先日の赤松氏会議室に続いての開設を喜んでおります(^^) (赤松部
屋の時には発言し損ないましたが(^^;))

 これからいろいろな新田一族の話題が出てくると思いますので、以下に新田一
族の略系図をアップします(って実はこれがやりたいだけだったりして(^^;))。

06_nitta

 ということで、新田岩松氏と新田山名氏の末裔は華族男爵になっておるんです
な。一応、新井白石も新田一族らしい(系図上は)。
 ちなみに新田義貞の嫡孫貞方の子孫は堀江氏を名乗って、一時後北条氏に仕え
たそうですが、のち相模に土着して現在でも御子孫がいるらしいです。

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(96)~丹後局高階栄子の家系図と夫・平業房の家系

今回は97年3月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○ ○○ さん、はじめまして。

>>1。北畠親房の正妻で顕家の日野氏は、誰の娘なのか(日野と言っ
>>  もかなりの人数ですから(号泣))
>>3。日野俊基の生年

 こちらは調べてみましたが、ちょっとわかりませんでした。引っ越しが近いも
んですから、ちょっとごたごたしてまして(^^;) お許しを。

>>2。丹後局高階栄子の家系図および、最初の夫の平業房の家系、任官。

 以下に系図を載せますので、参考にして下さい。

04_takasina

 ちなみに、成佐は高師直の祖先になります。

05_taira

今回の参考文献:
 『尊卑分脈』      吉川弘文館
 『宮廷公家系図集覧』  東京堂出版

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(95)~津田信澄の子孫

今回は織田信長の弟信行(信勝)の子で明智光秀の娘婿であった津田信澄の子孫についてです。97年5月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○ さん、○○○さん、○○○○さん、こんにちは。

 津田信澄のことが話題になってますので、『寛政重修諸家譜』から信澄の子孫
の系図をご紹介します。(女子は省略してます)

03_oda

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(94)~楠正虎の家系

今回は楠木正成の末裔と称し信長・秀吉等に祐筆として仕えた「楠正虎」の家系についてです。96年10月の書き込みです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○ さん、こんにちは。

>>教えていただいた中で,こいつが一番驚き(*_*) 勅免は明治以降の話
>>だとばかり思っていました。子孫の方々は200年もの間,何をしていた
>>んでしょう?? 高松藩と言えば水戸家の流れですよね。文書でも残っ
>>ていれば(真贋はともかく)楽しめそうなのに...

 『姓氏家系大辞典』によると、楠正虎の家系は次のようになっています。

02_kusunoki

 それから、今頃思い出しましたが、正成の弟正季の子孫と称する甲斐荘家が江
戸幕府の旗本(4000石)になってます。この御子孫は現在でもいらっしゃいます。
 あともう一つ、あの岡山藩・鳥取藩の池田家(恒興・輝政の子孫)は楠正行の子
孫と称してます。というのは、南北朝期の当主池田教依が正行の妻を後妻として
迎え、その遺腹の子を自分の養子とし、その子孫が勝入斎恒興や輝政である、と
『寛政譜』では書いています。
 楠長庵(正虎)の子孫はわかりませんが...

| | コメント (0)

NIFTYの遺産(93)~樋口氏の系図

なんと4年半ぶりの「NIFTYの遺産」です。まだ少しあったよなあ?と思いつつ、間が開いてしまいました(某田中○樹氏や森岡○之氏のことを言えない…)

それで、今回は直江兼続と樋口兼光の関係についての質問への返答です。96年9月の書き込みです。(げっ、25年も前…)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○○○○ さん、はじめまして。

>>直江兼続の先祖は,朝日将軍源(木曽)義仲の乳兄弟で,倶利加羅峠の合戦におい
>>て軍功のあった樋口兼光(中原兼遠の次男)だという話がありますが,上杉家関
>>連の資料(当然,軍記物も含めて)でそのような記述を見たことのある人,いま
>>せんか。

 上杉家関連の資料ではありませんが、『古代氏族系譜集成』の中の中原氏の系
図の中に樋口氏の系図があったので御紹介します。

01_higuti

 注釈によると、兼季、光信以下の系図は『直江兼続とその時代』『直江津町
史』に収める樋口氏系図によるそうです。(どこまで信用できるものかはわかり
ませんが...)

| | コメント (0)

NIFTY時代の遺産…(一部修正再掲)

 みなさんは、かつてパソコン通信というものがあったことはご存じでしょうか?
 今ではインターネットが当たり前のものとして存在しているけれど、インターネットが普及する前にはパソコン通信というネットワークが存在していました。
 私がパソコン通信を始めたのは、1996年の4月だからもう20年以上前のことです。きっかけは簡単なことからでした。その数年前にパソコン(今はなきNECの98シリーズというやつ)を買い、はじめの頃はゲーム(蒼き狼シリーズとか信長の野望・三国志シリーズなど)にはまっていた私でしたが、職場の同僚に「パソコン通信やってみたら?」と言われた一言からでした。早速モデムを購入し、PC-VAN(現BIGLOBE)とNifty-Serve(現@nifty)に入会、当然ながら歴史関係の所をのぞいていましたが、そのうちPC-VANには行かなくなり、もっぱらNIFTYに行くようになりました。
 NIFTYにはフォーラムという共通の趣味や話題について交流するサービスがあり、よく出入りしていたのはスタートレックフォーラムと歴史フォーラムでした。中でも歴史フォーラムには私が入会した数ヶ月後に系図についての会議室(一つのテーマについて交流できる所)ができたので、すっかりパソコン通信にはまってしまったのが、私のネット生活の原点でした。
 パソコン通信は、基本的には文字(テキスト)のみのやりとりなので、系図も―や|などの線をつないで表示するのですが、何度も繰り返すうちにすっかりテキストのみで系図を書くことに慣れてしまいました(^^;) その頃に系図会議室に投稿していたものが、2000年に開設した私のサイト「KUBOの家系城郭研究所」の当初の主要コンテンツとなっています。(「交代寄合」・「滅びた(?)名族」・「ユーグ・カペーの末裔」シリーズなど)
 パソコン通信当時の記録(ログ)は当時使っていたNifTermというソフトの中に残っていて、今でもNifTermを立ち上げると見ることはできるのですが、何しろWindows95用のソフトですので、いつ見ることができなくなるか分かりません。せっかく当時時間をかけて書いた系図や文書をそのまま消してしまうのももったいないので、このブログに転載してはどうかと考えたわけです。
 なにしろ文字のみで書いた系図なのできちんと表示されるかという部分がやや不安ですが、取りあえずやってみることにします(^^;)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ということで6年ほど前に始めたこのシリーズ。(92)まで投稿した所で中断していましたが、まだ若干ネタが残っていたので少し続けてみることにします。

| | コメント (0)

« 2021年1月 | トップページ | 2021年3月 »