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NIFTYの遺産(84)~ナヴァール王家の系図

これは1997年10月に投稿したものです。かつてフランス・スペイン国境付近に存在したナヴァール(ナヴァラ)王国についての質問があったので、それに答えたものです。

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○○ さん、こんにちは。

>>(質問1)ナヴァール王家のおおもとは、シャルルマーニュの帝国から
>>     分裂したものですよね?
>>     それでもイタリアやドイツのように王国としては存続しなかったし、
>>     かといって公国にもならなかったですよね?
>>     で、そのうちフランスとスペインに吸収される。
>>     この辺のいきさつはいったい・・・(?_?)

 おっしゃるとおり、ナヴァール王国はシャルルマーニュの頃に辺境領として設置されたのがそのおおもとのようです。私の史料ではアリスタ家のサンチョ・イニーゴ・アリスタが824年頃にパンプルーナ王となったのがその始まりとなっています。その後、サンチョ3世"大王"(1000頃-1035)の頃に最盛期を迎えましたが、その死後はカスティリャやアラゴンが分離し、1076年にはアラゴンに併合されてしまいます。
 1134年には独立を取り戻しますが、1234年、サンチョ7世が没するとサンチョ大王の直系は断絶し、サンチョ7世の妹ブランカとシャンパーニュ伯ティボー3世の子シャンパーニュ伯ティボー4世が「テオバルド1世」として即位すると以後王位はフランス系の諸家の間を転々とします。
 シャンパーニュ家のあとは、フランス王家であるカペー家、そしてその一族であるエヴリュー家が王位を継ぎますが、エヴリュー家のブランシュ1世(1425-1441)はアラゴン王ファン2世と結婚したため、アラゴン家の影響が強く
なります。
 ブランシュの死後はファン2世が王位を占めますが、その死後はブランシュとファンの娘エレオノラ(レオノーラ)がナヴァール女王となり、アラゴン王位はエレオノラの異母弟フェルナンド2世(カスティリャのイザベラ女王の夫)が受け継ぎます。
 エレオノラの死後は、彼女の孫フランソワ・フェブス(フォワ家)、その妹カトリーヌがナヴァール王位を継ぎます。しかし1512年、アラゴン王フェルナンド2世がナヴァールを侵略し、1515にはカスティリャに併合してしまいました。
 しかし1530年にはフランス側のナヴァール領がカトリーヌの息子アンリ2世ダルブレに返還されました。その後は彼の娘ジャンヌ3世ダルブレが女王となり、ブルボン家のヴァンドーム公アントワーヌ・ド・ブルボンと結婚し、二人の間に生まれたのがアンリ3世・ド・ナヴァール、後のフランス王にしてブルボン朝の開祖アンリ4世です。以後はフランス王がナヴァール王を兼ねフランスとナヴァールは結びついてしまったというわけです
 以上が、私の知る限りのナヴァール王家の歴史です。王国として存続しなかったのは、私が考えるに、途中からフランス系の君主を戴くようになり、国としてのアイデンティティが薄れたこと、フランス・カスティリャ・アラゴンという当時の大国に囲まれていたことが原因ではないかと思います。

>>(質問2)フィリップ4世と結婚してナヴァール王位をフランス王家に
>>     もたらす、ナヴァールとシャンパーニュの女相続人、というのは
>>     どういう家柄のお姫さまなんでしょうか(?_?)

 上に出てきたシャンパーニュ伯からナヴァール王となったテオバルド1世の子でシャンパーニュ伯&ナヴァール王を受け継いだアンリ1(3)世が、フィリップ4世と結婚したジャンヌ1世(1274-1305)の父です。テオバルド1世は母ブランカからはナヴァール王国を、父ティボー3世からはシャンパーニュ伯領を相続しました。
 シャンパーニュ伯家は、10世紀のロベール(ヴェルマンドワ伯エルベール2世の子)にさかのぼります。彼はトロア伯領の女相続人アデールと結婚しトロア伯を名乗ります。その後、11世紀末になると「シャンパーニュ伯」と名乗り、ティボー3世に至ります。

>>(質問3)ナヴァール王の称号だけ、というのがあったりもしますよね。
>>     称号だけ、というのと実質、というのの違いはなんなんでしょう(?_?)

 ナヴァール王の称号だけというのは、アップした中にはなかったように思いましたが、ヨーロッパの王侯の系図を調べているとこの「称号のみ」というのがよく出てきます。
 「ユーグ・カペーの末裔」シリーズから探してみると、クルトネ家のところで「コンスタンティノープル皇帝(称号のみ)」というのがあります。これは第4回十字軍でビザンツ帝国を征服していわゆる「ラテン帝国」が成立しますが、その後ビザンツの亡命政権にコンスタンティノープルを奪回されてしまいました。しかし、その子孫はその後も権利を主張するという意味だったのか、称号だけは名乗りつづけていたようです。
 ですから、実質的には支配していないけれども、その国や地域に対する権利を主張するために称号を名乗り続けていた、ということだと思います

 ということで、私もよくわからないところがあるんですが、取りあえずご質問に答えてみました。それからナヴァール王家の系図を別発言でアップしましたので、ご参考にして下さい。

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○○ さん、こんにちは。

 それではナヴァール王家の系図です。

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