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NIFTYの遺産(74)~加藤清正の子孫(1)

これは98年12月から99年1月に投稿したもので、加藤清正の子孫をまとめたものです。

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みなさん、こんにちは。

 吉良上野介ネタと同じく、これもMES10からの追放ネタです(^^;)

 加藤清正の子孫は、彼の息子忠広が改易となって断絶したと普通思われていますが、実は忠広の配流先で産まれた子供がおり、その子孫が現在まで存続しています。
 加藤忠広は徳川忠長事件への加担や側室と子を無断で熊本へ移したことなどを理由に除封となり、出羽荘内藩主・酒井忠勝(三代将軍家光の頃の老中・大老として有名な酒井忠勝とは別人)の許へ配流となります。幕府は忠広に丸岡一万石を与え大名としての待遇を与えましたが、彼の死後除封となり、大名としての加藤家はこれで断絶しました。
 忠広は、正室宗法院(蒲生秀行女、徳川秀忠養女)との間に光正、側室法乗院(家臣玉目元次長女)との間に一男一女(正良、とも子<すぎ>)、そして配流先で法乗院の妹を側室とし一男一女(光秋、女子)の計三男二女がいるが、光正は飛騨高山藩主・金森可頼に預けられ数年後に死亡、正良は上野沼田藩主・真田信吉に預けられ父の没後死亡しましたが、配流先で生まれた光秋は、配流先の荘内藩主酒井家が幕府の目を憚り、近在の大庄屋の養子とし、光秋の子・道久の時に新堀村に移り、その子孫はその地方の豪農として存続し、現在まで続いているそうです。
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