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NIFTYの遺産(79)~北条氏の系図

これは2001年2月に投稿したものです。当時の大河ドラマ「北条時宗」にちなんでまとめたものです。

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○○ さん、こんにちは。

>>そ、そこで、自己の怠慢を省みず執権北条氏の系図をリクエストしてしまいま~~
>>す(^^;)。だ、誰か書いていただけるとありがたいです、はい。

 へいへい、それでは。取りあえず時政の祖父からね。数字は執権の代数、女子は除いてあります。それから、連=連署、北=北六波羅探題、南=南六波羅探題、西=鎮西探題
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NIFTYの遺産(78)~正親町天皇の男系子孫(2)

続きです。
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 ということで、現皇室に一番近い男系子孫は閑院宮家から摂家鷹司家に養子に行った鷹司輔平の曾孫で浄土真宗興正寺の養子となった摂信の子孫華園家ということになりますね。
 摂家に養子に行った皇子の子孫がこれだけ広がるとはねえ。浄土真宗の興正寺・専修寺、熱田神宮大宮司千秋家、おまけに楽家の東儀家まで出てくるとは思いませんでした(^^;)

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NIFTYの遺産(77)~正親町天皇の男系子孫(1)

これは99年の3月に投稿したもので、男系で一番天皇家に近い家系はという話題になって調べたものです。

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 以下は正親町天皇の血を引く男系子孫の系図です。
 正親町天皇からとしたのは、伏見宮分立以後正親町天皇までは、王子はほとんど出家していて宮家の分立など男系の分流がないためです。また、以下の系図では出家した法親王等は省きましたが、浄土真宗系は家系が続いている場合があるので載せています。(×印はそこで男系子孫が絶えたということです。)
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NIFTYの遺産(76)~加藤清正の子孫(3)

みなさん、こんにちは。

 今回の阿部家は、○○さんに教えていただいた加藤忠広の娘の子孫です。
 この忠広の娘は清正の娘で徳川(紀伊)頼宣の室となったあま姫(瑶林院)に育てられ、紀伊家の家臣渡辺若狭某の養女として旗本阿部四郎五郎正重に嫁いでいます。この阿部家は前回の白河阿部家とは同族でしょうけど別系統で、二千五百五十石余を知行しています。
 夫の正重は御使蕃、普請奉行などを勤めましたが、忠広の娘との間には次男政澄をもうけ、政澄の子孫は四百石の旗本として存続しています。
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NIFTYの遺産(75)~加藤清正の子孫(2)

みなさん、こんにちは。

 前回の荘内加藤家の他に加藤清正の血統を受け継いでいるのが、清正の娘古屋姫の血を引く陸奥白河藩阿部家です。その子孫を一通り調べてみましたが、いろいろな大名・旗本がいましたが、特に有名な人物はいないようです。あ~疲れた(^^;)
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NIFTYの遺産(74)~加藤清正の子孫(1)

これは98年12月から99年1月に投稿したもので、加藤清正の子孫をまとめたものです。

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みなさん、こんにちは。

 吉良上野介ネタと同じく、これもMES10からの追放ネタです(^^;)

 加藤清正の子孫は、彼の息子忠広が改易となって断絶したと普通思われていますが、実は忠広の配流先で産まれた子供がおり、その子孫が現在まで存続しています。
 加藤忠広は徳川忠長事件への加担や側室と子を無断で熊本へ移したことなどを理由に除封となり、出羽荘内藩主・酒井忠勝(三代将軍家光の頃の老中・大老として有名な酒井忠勝とは別人)の許へ配流となります。幕府は忠広に丸岡一万石を与え大名としての待遇を与えましたが、彼の死後除封となり、大名としての加藤家はこれで断絶しました。
 忠広は、正室宗法院(蒲生秀行女、徳川秀忠養女)との間に光正、側室法乗院(家臣玉目元次長女)との間に一男一女(正良、とも子<すぎ>)、そして配流先で法乗院の妹を側室とし一男一女(光秋、女子)の計三男二女がいるが、光正は飛騨高山藩主・金森可頼に預けられ数年後に死亡、正良は上野沼田藩主・真田信吉に預けられ父の没後死亡しましたが、配流先で生まれた光秋は、配流先の荘内藩主酒井家が幕府の目を憚り、近在の大庄屋の養子とし、光秋の子・道久の時に新堀村に移り、その子孫はその地方の豪農として存続し、現在まで続いているそうです。
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NIFTYの遺産(73)~吉良上野介の子孫(4)

みなさん、こんにちは。

 今回は筑前福岡藩の支藩、筑前秋月藩黒田家です。やっと肝心の上杉治憲(鷹山)が出てきました(^^) ということで、やはり上杉鷹山が吉良上野介の血を引いているのは間違いないですね。(上杉家の親族なんだから当たり前ですが...(^^;))
 なお吉良上野介の子孫の系図は以上で終わりですが、女子の嫁ぎ先で子どもがいたけれど、その母親が確認できないものは省きましたので、本当はもっと子孫がいるかもしれません。
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NIFTYの遺産(72)~吉良上野介の子孫(3)

みなさん、こんにちは。

 今回は米沢藩の支藩、米沢新田藩上杉家です。
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 ちなみに上杉勝周の子金田正矩の養子先・金田家は、旗本五百石です。

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