« NIFTYの遺産(62)~笹舟の記 葦名氏 | トップページ | NIFTYの遺産(64)~米沢上杉家重臣・千坂家 »

NIFTYの遺産(63)~新田堀江氏

これも98年の2月に投稿したもので、新田氏の末裔新田堀江氏についてです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
みなさん、こんにちは。

 先日来、「紀伊国屋 BOOK WEB」で歴史・系図関係の文献を検索しては注文してみたんですが、古い物が多いせいか「品切れで入手できませんでした」とか「不扱い商品につき入手できませんでした」と言われることが多かったんです(; ;)
 ところが先日、奥富敬之さんの『清和源氏新田堀江家の歴史』(高文堂新書)がヒットしたのでダメもとで注文したら、今日到着しました(^^)
 20年以上前の本なのに、まだ流通しているとはビックリです。
 以下に同書をもとに新田堀江家の系図をアップします。
01_4
 新田貞方が応永16年(1409)に鎌倉府の侍所別当であった千葉介兼胤の手の者によって討たれたのち、貞方の子新十郎貞政は当時岩松家の所領だった武蔵国稲毛荘に逃げ込みました。なぜ「堀江」を称したのかということについては、同書は母方の姓を名乗ったとし、貞政の母は義宗の兄義顕の子孫である越前堀江氏の出ではないかと推測しています。
 その後、2代政貞の代に本貫地である上野に戻り、四代政貞の代から後北条氏に仕えたようです。6代政邦は、病身を理由に致仕し相模国中郡西富岡村(神奈川県伊勢原市)に土着し、江戸期に入ると代々の当主は「仁左衛門」を称し、西富岡村の名主を務めていました。15代政起の頃には苗字御免となり、18代政徳の時には苗字帯刀御免となっています。
 明治維新となり新郡区政が実施されると、政徳は西富岡村の戸長となり、19代政治も戸長を勤めました。20代政仁は初め教職につきましたがのち医師となり、21代政邦、22代政伸も医師となっています。

 ところで、同書に昭和50年に福井市藤島神社において新田義貞記念式典が行われたときに、招待三家として鎌倉の新田岩松家、石川県の喜多家、そしてこの堀江宗家が招聘されたと書いてあるんですが、鎌倉の新田岩松家というのは貞方の弟岩松満純の子孫だと思うのですが、石川県の喜多家っていうのはどういう系統なんでしょう? 文脈から言っても新田義貞の末裔だと思うのですが... ご存じの方いません?

|

« NIFTYの遺産(62)~笹舟の記 葦名氏 | トップページ | NIFTYの遺産(64)~米沢上杉家重臣・千坂家 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/57382/63422573

この記事へのトラックバック一覧です: NIFTYの遺産(63)~新田堀江氏:

« NIFTYの遺産(62)~笹舟の記 葦名氏 | トップページ | NIFTYの遺産(64)~米沢上杉家重臣・千坂家 »