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NIFTYの遺産(50)~江戸期の「城」氏について

これは97年10月に投稿したもので、「城」氏についての質問への回答です。

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○○さん、こんにちは。

>> で、多分江戸期に当地(千葉県香取郡神崎町小松)を知行地(采地)にした
>> 旗本では無かったかと推定されますが、手元に適当な資料もなく気になるの
>> で、アップして皆様のお知恵をお借りすることとしました。 
>>  また「城」氏は平繁盛流が有名(?)ですが、この末裔であるとしたら、
>> どのような経緯で徳川家に属することになったのか、また知行地に墓所を設
>> けるのは多い例なのか、ご存じの方がおられましたら、よろしくご教示下さ
>> い。  

 『寛政重修諸家譜』には城氏の一族は、城氏一家、玉虫氏五家が出ています。
この城氏は、平繁盛流の城太郎資盛の二十二代目という玉虫式部少輔貞茂を祖と
しています。
 貞茂ははじめ長尾為景及び景虎に仕え、のち越後国を去り、武田信玄に仕えた
そうです。彼の子景茂は、城家の嫡流が断絶したため、信玄により城氏に復し、
武田家没落後は徳川家康に仕え越後国古志郡の本領を宛われたそうです。その子
孫は下総国香取郡千三百六十石余、遠江国城東・佐野両郡六百四十石、計二千石
の采地を継承しました。(庶流は旧姓玉虫氏を名乗ったようです)

>>  墓石1: 寒江義徹居士  貞享二 乙丑年 城半右衛門尉平朝茂
>>               十二月二廿二日

 これは『寛政重修諸家譜』では「城半左衛門朝茂」となっています。葬地は采
地香取郡の小松村となっています。

>>  墓石2: 郭外宗完居士  宝永元 甲申年 城主水正維国
>>               十月??三日

 こちらは「城主水維岡」となっています。没年月日は十月十三日に、法名は宗
寛となっています。維岡の葬地は渋谷の祥雲寺となっています。

>>  墓石3: 芳富院殿 清室寿光大姉 叔霊  延宝六 戊午年 松田氏
>>                       十一月晦日   ????

 これは、朝茂の妻である「松田善右衛門勝政が女」だと思います。

 以下が『寛政重修諸家譜』所載の城氏系図です。
01_2

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