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NIFTYの遺産(48)~浄法寺氏系図

続いては、97年6月に投稿したものです。畠山重忠の末裔で、現在の岩手県にいた浄法寺氏が話題となったので、その系図を紹介します。


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○○さん、こんにちは。

>> KUBOさんお得意の『南部藩 参考諸家系図』ではないでしょうか(^^;

 残念ながらハズレです(^^;) 『姓氏と家紋』でした。確認してみたら『姓氏と家紋 第35号』(昭和55年8月発行)に武田光弘氏が「或る氏族の変転の歴史」と題して、この一族の歴史について書いています。
 それによりますと、畠山重忠の三男大夫阿闍梨重慶の子孫が奥州二戸郡に来て浄法寺氏を名乗ったそうです。その子孫は次第に南部氏に接近し、戦国末期には南部氏に属するようになりましたが、南部氏に追われて没落し現在の秋田県に移ったそうです。秋田に移ったあとは、由緒ある畠山の氏号を名乗り、新田開発などによる分家別家は畠山より古い秩父の氏号を名乗ったそうです。
 『参考諸家系図』にも出ていましたか? (道立図書館が遠くなったので、そうおいそれと確かめにも行けないんです(^^;))

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○○さん、こんにちは。

>> あれっ、違いましたか・・・(^^; おかしいな・・・(^^)
>> 他の本で見たんですか。確か、『参考諸家系図』の松岡氏の項にも同じようなこ
>>とが書かれておりました。浄法寺を逃れた後、もう一度戻り、松岡氏と改姓して南
>>部氏に仕えたと・・・・(^^;

 『姓氏家系大辞典』にも載っていましたが、松岡氏は浄法寺氏の一族のようですね。その他に、浄法寺氏の別れには、太田、吉田、駒嶺、大森等があるそうです。
 先日紹介した、武田光弘氏の論文によると、関ヶ原の戦いの時に和賀氏の残党が蜂起したので、それを鎮圧するために南部利直は出兵し、その時に浄法寺修理重好も従軍しましたが、大雪に遭い敵の攻撃がないだろうと浄法寺まで帰ってしまい、それを知った利直が激怒し所領を召し上げられ追放ということになったそうです。結果的には、重好の失策ですが、利直には外様である浄法寺氏を追放するチャンスと見られたようです。
 同論文には浄法寺氏の系図も載っていて、「松岡」姓を名乗る人物も何人か乗っていまして、浄法寺重好の弟として「松岡藤右衛門正吉」「松岡市兵衛忠賀」という人物が乗っていました。ひょっとすると、この二人が『参考諸家系図』に載っていた松岡氏の先祖でしょうか?

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○○さん、こんにちは。

>> 次から南部藩に仕えた浄法寺一族をアップします(^^)

 どうもありがとうございました。重好兄弟の子孫が結構南部家中にいたんですね。
 それでは、お返しに「或る氏族の変転の歴史」に載っていた浄法寺氏の系図をご紹介します。こちらは『参考諸家系図』で不詳としている部分についても出ています。同論文によると、重慶の子孫の系図は「九戸戦史」に収録されており、「岩手県史」にも引用されているそうです。
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