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NIFTYの遺産(56)~八戸南部家の重臣・中里家

みなさん、こんにちは。

 八戸藩南部家の重臣ですが、『南部藩参考諸家系図』で調べてみました。です
が、下の中里家の本家らしき一族の系図は載っていましたが、新宮家と梶内家は
見つかりませんでした。
 ということで中里家の系図をご紹介します。

>>八戸南部家(盛岡支藩)
>> 中里弥次右衛門○,  中里郷右衛門○,   新宮七郎右衛門,
>> 梶内金右衛門,
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 上を見ておわかりのように、中里家は八戸藩南部家と深い関わりのある家です。つまり、八戸藩初代の南部直房の母は中里嘉兵衛正吉の娘で、直房にとって中里家は外戚となるわけです。
 上記の系図の中には八戸藩に仕えた者としては、正吉の子・典膳正良と正親の子・伝左衛門吉正の二人しか出ていませんが、正良の兄に「弥治右衛門」という人物がいますので、これが文化五年の武鑑に出ている「中里弥次右衛門」の先祖ではないでしょうか?
 また、『三百藩藩主人名事典』の「南部直房」の項に、直房を暗殺した刺客・石原関之助を討ち取った人物として「中里弥次右衛門」が出ていますが、これは正吉の子の弥次右衛門の息子でしょうか?

 『三百藩家臣人名事典』を見てみたら「中里郷右衛門」が出ていました。彼は借金により悪化した藩財政を好転させましたが、文化6年商人と結び不正を犯した廉で家老職を罷免、閉門蟄居を命ぜられたそうです。また、中里弥次右衛門も一緒に罷免され、禄高半減の処分を受けたとのことです。

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NIFTYの遺産(55)~南部家の重臣・北家

南部藩の重臣、その3は北家です。

>>盛岡南部家
>> 八戸弥六郎○,    中野筑後○,     北監物,
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 南部信直の重臣北信愛の子孫ですが、信愛の子どもたちは信愛とは別に禄を与えられていて、愛一が二千百五十石、直愛が八千石、直継が二千石となっているのはさすが北信愛の子どもたちというべきでしょうか。
 愛一の子孫は何度か禄を収められて縮小してしまいましたが、直継の子孫は代々家老を務め北家の嫡流となったようです。
 文化五年の北監物は継愛のことでしょうか。

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NIFTYの遺産(54)~南部家の重臣・中野家

南部藩の重臣、その2は中野家です。

>>盛岡南部家
>> 八戸弥六郎○,    中野筑後○,     北監物,

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 この中野家は、ご覧の通りなんとあの九戸政実の弟中野直康の子孫でした。九戸家は九戸の乱で滅んだと思っていたら、その弟の子孫が生き残っていて、しかも南部家の重臣となっていたとは...
 康房が明和8年(1771)に家督を継いでいますので、文化五年の中野筑後は康房の晩年かその次の康孝ぐらいでしょうか。

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NIFTYの遺産(53)~南部家の重臣・八戸家

今度は98年2月の投稿。文化5年(1808)の武鑑を元に各大名家の重臣を紹介した方がいて、『参考諸家系図』等を元に各家の家系を紹介したものです。ということで盛岡藩南部家の重臣の家系を紹介します。

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>>盛岡南部家
>> 八戸弥六郎○,    中野筑後○,     北監物,

 結局、先日道立図書館に行って来て調べてしまいました(^^;) 久しぶりだったので、『南部藩参考諸家系図』『古代氏族系譜集成』などいろいろと調べてきました。あと『鈴木真年伝』があったので、付属の『新田族譜』も見てきました。ということで、「交代寄合シリーズ」「高家シリーズ」&世界史館用のネタを仕入れてきました(^^;)
 その成果はのちほどということで、まずは南部藩の重臣達です。
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 南部藩の重臣というよりは、一時は嫡家三戸南部家よりも勢力を振るった八戸南部家です。
 さて文化五年の武鑑に載っている「八戸弥六郎」ですが、弥六郎義顔は延享2年(1745)に家督を継いでいますので、養子の丑之助か、その次の代ぐらいの人物ではないかと思います。

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NIFTYの遺産(52)~島津氏系図

次は98年2月の投稿で、近世島津氏の系図です。

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○○ さん、こんにちは。

>>興が11人と子供の多いこと多いこと。どなたか、島津家の完全系図作
>>る気がある方いませんか?
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 『寛政重修諸家譜』『三百藩藩主人名事典』『江戸大名家血族事典』を元に作ってみました。ああ、疲れた...(ーー;) 何で、こんなに子どもがいるんだか...

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NIFTYの遺産(51)~佐竹西家について

これは97年10月に投稿したもので、佐竹氏一門の西家(小場家)についての質問の回答です。

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○○ さん、こんにちは。

>>佐竹氏一門に西家(小場氏)がありますが、常陸時代には東、南、北家のみで、
>>西家は出羽に国替えとなってから西家と呼ぶ様になったのでしょうか?

 夏に市立函館図書館で、写真に写してきた系図資料の中に『佐竹支流系図』と
いうのがあったので、それを見てみました。
 すると、小場氏は式部義成の代に宗家に従い出羽に移り、大館城代となりまし
たが、義成の孫義房の時に、天山公(二代義隆のことでしょうか)の命により小場
氏を改め、佐竹の称号を賜ったそうです。ですから、西家と呼ぶようになったの
はそれ以後ではないでしょうか?
 以下は『佐竹支流系図』に載っていた、佐竹小場氏の系図です。
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上記のフォローですが、「三百藩家臣人名辞典」によると、常陸時代に城の西口の守衛を担当していたので西家となったようですから、常陸時代からの呼称というのが正解のようです。

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NIFTYの遺産(50)~江戸期の「城」氏について

これは97年10月に投稿したもので、「城」氏についての質問への回答です。

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○○さん、こんにちは。

>> で、多分江戸期に当地(千葉県香取郡神崎町小松)を知行地(采地)にした
>> 旗本では無かったかと推定されますが、手元に適当な資料もなく気になるの
>> で、アップして皆様のお知恵をお借りすることとしました。 
>>  また「城」氏は平繁盛流が有名(?)ですが、この末裔であるとしたら、
>> どのような経緯で徳川家に属することになったのか、また知行地に墓所を設
>> けるのは多い例なのか、ご存じの方がおられましたら、よろしくご教示下さ
>> い。  

 『寛政重修諸家譜』には城氏の一族は、城氏一家、玉虫氏五家が出ています。
この城氏は、平繁盛流の城太郎資盛の二十二代目という玉虫式部少輔貞茂を祖と
しています。
 貞茂ははじめ長尾為景及び景虎に仕え、のち越後国を去り、武田信玄に仕えた
そうです。彼の子景茂は、城家の嫡流が断絶したため、信玄により城氏に復し、
武田家没落後は徳川家康に仕え越後国古志郡の本領を宛われたそうです。その子
孫は下総国香取郡千三百六十石余、遠江国城東・佐野両郡六百四十石、計二千石
の采地を継承しました。(庶流は旧姓玉虫氏を名乗ったようです)

>>  墓石1: 寒江義徹居士  貞享二 乙丑年 城半右衛門尉平朝茂
>>               十二月二廿二日

 これは『寛政重修諸家譜』では「城半左衛門朝茂」となっています。葬地は采
地香取郡の小松村となっています。

>>  墓石2: 郭外宗完居士  宝永元 甲申年 城主水正維国
>>               十月??三日

 こちらは「城主水維岡」となっています。没年月日は十月十三日に、法名は宗
寛となっています。維岡の葬地は渋谷の祥雲寺となっています。

>>  墓石3: 芳富院殿 清室寿光大姉 叔霊  延宝六 戊午年 松田氏
>>                       十一月晦日   ????

 これは、朝茂の妻である「松田善右衛門勝政が女」だと思います。

 以下が『寛政重修諸家譜』所載の城氏系図です。
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NIFTYの遺産(49)~龍造寺一族の系図

続いては97年9月に投稿したものです。龍造寺一族についての質問への回答として龍造寺一族の略系図を紹介しました。

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○○ さん、はじめまして。

>>  佐賀藩家老となった龍造寺一門四家と、いつのまにか消えてしまった
>>  隆信の嫡流の系譜をご存じの方、教えて頂けませんでしょうか。

 私も竜造寺一族については興味を持っていますが、その系譜についてはよく知
りません。
 しかし、『系図研究の基礎知識 第三巻』所載の「華族諸家略系表」にこの四
家の内三家の近代の略系が一部のっていますので、ご参考までに以下に掲げます。
01
 隆信の嫡流は孫の高房の死によって断絶し、弟の安良が村田姓を名乗り、その子孫は佐賀藩士となったそうですが、その子孫はどうなったのでしょうね。

 それから高房の庶出の息子・伯庵(季明)は、竜造寺家の再興を幕府に訴え出ましたが、鍋島家に敗れ会津藩に預けられ、その子孫は会津藩士になったようです。この伯庵の子孫の話は、旧F館時代に「滅びた(?)名族」シリーズの中で話をしまして、筈衛さんに調べていただいた結果、伯庵の子孫は竜造寺姓のまま明治期まで続いたようです。(ただし、会津藩には伯庵の叔父将監も預けられていますのでその子孫かもしれませんが...)
 また福島県の電話帳を調べたら福島市に「竜造寺」さんという方がいらっしゃったので、この方が伯庵の子孫なのかもしれません。ただし、はっきりした系譜はわかりません。

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NIFTYの遺産(48)~浄法寺氏系図

続いては、97年6月に投稿したものです。畠山重忠の末裔で、現在の岩手県にいた浄法寺氏が話題となったので、その系図を紹介します。


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○○さん、こんにちは。

>> KUBOさんお得意の『南部藩 参考諸家系図』ではないでしょうか(^^;

 残念ながらハズレです(^^;) 『姓氏と家紋』でした。確認してみたら『姓氏と家紋 第35号』(昭和55年8月発行)に武田光弘氏が「或る氏族の変転の歴史」と題して、この一族の歴史について書いています。
 それによりますと、畠山重忠の三男大夫阿闍梨重慶の子孫が奥州二戸郡に来て浄法寺氏を名乗ったそうです。その子孫は次第に南部氏に接近し、戦国末期には南部氏に属するようになりましたが、南部氏に追われて没落し現在の秋田県に移ったそうです。秋田に移ったあとは、由緒ある畠山の氏号を名乗り、新田開発などによる分家別家は畠山より古い秩父の氏号を名乗ったそうです。
 『参考諸家系図』にも出ていましたか? (道立図書館が遠くなったので、そうおいそれと確かめにも行けないんです(^^;))

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○○さん、こんにちは。

>> あれっ、違いましたか・・・(^^; おかしいな・・・(^^)
>> 他の本で見たんですか。確か、『参考諸家系図』の松岡氏の項にも同じようなこ
>>とが書かれておりました。浄法寺を逃れた後、もう一度戻り、松岡氏と改姓して南
>>部氏に仕えたと・・・・(^^;

 『姓氏家系大辞典』にも載っていましたが、松岡氏は浄法寺氏の一族のようですね。その他に、浄法寺氏の別れには、太田、吉田、駒嶺、大森等があるそうです。
 先日紹介した、武田光弘氏の論文によると、関ヶ原の戦いの時に和賀氏の残党が蜂起したので、それを鎮圧するために南部利直は出兵し、その時に浄法寺修理重好も従軍しましたが、大雪に遭い敵の攻撃がないだろうと浄法寺まで帰ってしまい、それを知った利直が激怒し所領を召し上げられ追放ということになったそうです。結果的には、重好の失策ですが、利直には外様である浄法寺氏を追放するチャンスと見られたようです。
 同論文には浄法寺氏の系図も載っていて、「松岡」姓を名乗る人物も何人か乗っていまして、浄法寺重好の弟として「松岡藤右衛門正吉」「松岡市兵衛忠賀」という人物が乗っていました。ひょっとすると、この二人が『参考諸家系図』に載っていた松岡氏の先祖でしょうか?

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○○さん、こんにちは。

>> 次から南部藩に仕えた浄法寺一族をアップします(^^)

 どうもありがとうございました。重好兄弟の子孫が結構南部家中にいたんですね。
 それでは、お返しに「或る氏族の変転の歴史」に載っていた浄法寺氏の系図をご紹介します。こちらは『参考諸家系図』で不詳としている部分についても出ています。同論文によると、重慶の子孫の系図は「九戸戦史」に収録されており、「岩手県史」にも引用されているそうです。
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NIFTYの遺産(47)~矢部駿河守の家系

続いても質問への回答編で、97年3月に投稿したもので、大塩平八郎と関わりのあった町奉行・矢部駿河守の家系についてです。

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○○さん、△△ さん、こんにちは。

>>>>大塩とかかわりがあり、大坂町奉行からのちに江戸にもどり水野越前のもとで
>>>>町奉行になった矢部駿河守の情報を求めています。

>> 手元の資料だけでは、十分に判りません。幕臣で矢部を名乗る家は、平氏、
>>藤原氏、菅原氏の三流あるようです。
>>寛政10年の段階では、2百俵10人扶持・正方、440石・定之、4百俵・
>>義辰、3百俵・正勝、3百俵・定令、3百俵・定好、2百俵・定通、2百俵・
>>春氏、150票・勝守、百票5人扶持・矩武、150俵・有方の者達です。

 『寛政重修諸家譜』で調べてみましたが、諱に「定」の文字が付いていることから藤原支流の矢部氏のようです。この矢部氏は藤原氏良門流で家伝によると堤中納言兼輔の後裔だそうです。今川氏に仕えた対馬定則が駿河国有渡郡矢部村に住したことにより矢部を名乗ったそうです。
 この定則に始まる四家の矢部氏が『寛政重修諸家譜』に載っていましたが、略系図に表すと次のようになります。
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 ○○さんのコメントでは「300石の旗本から町奉行にまでなり」とのことでしたので、それにあてはまる家系はないのですが、「300石」とあるように知行取りであったのであれば、宗家の定之の家系である可能性が高いですが、300俵の蔵米取りから300石の知行取りになったのであれば、定好か定令の家系であるかもしれません。
 いずれにしても、駿河守定謙の通称であるとか、父親の名前などがわかれば『寛政譜』につなげることもできるのですが... あと、『江戸幕府旗本人名事典』を見れば、『寛政譜』につながる部分が見つかるかもしれません。
 いずれにしても、もう少し情報が欲しいです。

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○○さん、こんにちは。

 タイトルの通り矢部駿河守の家系わかりました。『姓氏家系大辞典』にのっていました。灯台もと暗しというヤツでして...(^^;)
 矢部駿河守定謙は、前回の系図の矢部定清の次男定成の子孫の定令の息子でした。また、道立図書館に行って『江戸幕臣人名事典』を見たら、彼の養子らしい人物も出ていました。それらをもとにした系図を以下に載せます。
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 『寛政譜』には、定令の子は錬蔵までの8人しか載っていませんが、『姓氏家系大辞典』によると定令の実子のようですので、錬蔵の次につけました。しかし、三太郎定業あるいは錬蔵がのちの駿河守定謙であるのかもしれません。その辺ははっきりと確かめられる資料がありませんでした。
 また、駿河守定謙の養子栄之丞は『江戸幕臣人名事典』に、「実祖父松平信濃守死小普請組支配相勤申候 実父松平内匠頭死御留守居相勤申候」と書いてあったので、『大武鑑』を見てみたら天保四年の武鑑の「御留守居年寄衆」のところに「松平内匠頭乗譲」という人物を発見しました。
 次に『寛政譜』を見たら「松平乗譲」という人物が一人だけおり、その父親が「松平信濃守乗森」という名で、小普請組支配を務めていることが書いてあったので、この「松平乗譲」が栄之丞の実父であると断定しました。『寛政譜』には乗譲の子は「万太郎乗顕、女子、友次郎乗敏」の三人が載っているのですが、栄之丞がこの乗顕・乗敏のどちらかであるのか、あるいはその弟であるのかはわかりませんでした。(たぶん弟でしょうね。) 栄之丞の実家松平家は、三河西尾藩6万石の大給松平家の分家で五千石を知行する上級旗本でした。
 しかし、この駿河守定謙の経歴すごいですね。堺奉行・駿府奉行・大坂奉行・勘定奉行・江戸町奉行を歴任とは恐れ入りました。よほどの人物だったようですね。『姓氏家系大辞典』には定謙のことを「幕末屈指の良吏」と書いてありました。実は、この矢部駿河守定謙の名前を聞いたのは今回が初めてでした。

今回の参考文献:
 『寛政重修諸家譜』    続群書類従完成会
 『姓氏家系大辞典』    角川書店      太田  亮 著
 『大武鑑』        名著刊行会     橋本  博 編
 『江戸幕臣人名辞典』
 『江戸幕府旗本人名辞典』
 『文化武鑑』

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NIFTYの遺産(46)~楠木氏の系図

 今度は、連載ではなく、97年2月に質問に答える形で投稿したものです。「楠木正成の家系について教えて下さい」という質問への回答編です。

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○○さん、こんにちは。

>>楠木正茂(漢字、 何か違うような・・・・・)
>>の子孫だと言うことを聞いたのです。
>>楠木の兄弟の養子が母、 □□家の家系に
>>つながるということなのですが・・・

 △△さんが『日本系譜綜覧』の系図を紹介されてますので、私は『古代氏族系
譜集成』の楠木氏の系図を紹介します。

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 △△さんもおっしゃってますが、楠木氏は正儀死後は、歴史の狭間に消えていきました。
 戦国末期、織田信長に使えた大饗正虎が正成の子孫と称して勅免を賜い、楠木姓を名乗ったほか、正成の弟正季の子孫という甲斐庄氏が徳川家に仕え旗本となっているのが、知られています。

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NIFTYの遺産(45)~ヴィクトリア女王の先祖(16)

みなさん、こんにちは。

 連載「ヴィクトリア女王の先祖」もとうとう最終回になりました。第16回で
す。これは、第1回の続きです。
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 最後だというのにえらくまた簡単になってしまいました(^_^;) やはり私の資料の元ネタがフランスの百科事典『ラルース』なので、フランス関係は詳しいんですが、ドイツ関係はハプスブルク&ホーエンツォレルン家が載っているぐらいなので、その他のドイツの諸領邦の家系については、結局『世界帝王系図集』にたよることになってしまいました。
 ながらく、ダラダラと長いだけの系図におつきあいいただいてありがとうございました。
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もしも、今この連載をやり直すとしたら、もう少し詳しいものができるかもしれませんが、そんな余裕はないですねえ(^^;)

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NIFTYの遺産(44)~ヴィクトリア女王の先祖(15)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第15回です。これは、第14回の続きです。
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 今回は独仏関係が多いようですね。著名人は特にいませんが、はじめの方に出てくるギーズ公クロード1世の孫(つまりメアリ・スチュアートの従弟)アンリ1世は旧教同盟の盟主としてサン・バルテルミの虐殺に絡んでくるのでご存じの方もいるかもしれません。
 それからお終いの方に出てくるヴァンドーム伯フランソワはのちのアンリ4世の曾祖父ですから、ユグノー戦争での旧教側の盟主ギーズ公アンリと新教側の盟主アンリ4世(・ド・ナヴァール)は又従兄弟ということになりますね。

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NIFTYの遺産(43)~ヴィクトリア女王の先祖(14)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第14回です。これは、第11回の続きです。
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 今回の分は、スコットランド、ウェールズにユーリヒ・クレーフェなどドイツのヴェストファーレン諸侯の家系です。
 スコットランドの独立を回復したロバート1世ブルース(映画『ブレイブハート』にも出ていました)、シャークスピアの悲劇『マクベス』に出てくるバンクォウあたりが少しは知られているでしょうか?

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NIFTYの遺産(42)~ヴィクトリア女王の先祖(13)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第13回です。これは、第11回の続きです。
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 やっとイングランドらしくなってきました。今回の分では、百年戦争を始めたエドワード3世、ばら戦争で対立したランカスター家&ヨーク家、おまけにアイルランド王まで出てきました。それからカスティリャ・レオン王ドン・ペドロ1世。『残酷王』とか『審判王』とかいわれた人物ですが、一般的にはそんなに有名でないかもしれません。でも、私の好きな歴史コミックス『アル・カサル』の主人公ですので、落とすわけにはいきません(^_^;) それに、彼の娘コンスタンシアはランカスター公ジョン・オブ・ゴーントに、イザベルはヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーにと、ばら戦争で対立する両家に嫁いでいますので、抜かすわけにはいきませんね。

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NIFTYの遺産(41)~ヴィクトリア女王の先祖(12)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第12回です。これは、第11回の続きです。
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 前回に引き続き、フランス関係が多いです。今回の分では、あまり著名な人物はいませんね。

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NIFTYの遺産(40)~ヴィクトリア女王の先祖(11)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第11回です。これは、第10回の続きです。
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 やっとイギリスらしくなってきたなあと思ったら、今度はフランス王家につながってしまいました(^_^;) 今回の部分では、スチュアート家の祖ジェームズ1世、テューダー家の祖ヘンリー7世、フランスの聖王ルイ9世あたりが有名です
かねえ。

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NIFTYの遺産(39)~ヴィクトリア女王の先祖(10)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第10回です。これも、第1回の続きです。
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 今回の部分では、デンマーク王家を除くとブランデンブルク、ザクセン、バイエルン、アンハルト、プファルツ、ヘッセンなど、ほとんどドイツです。有名な人物としては、英語の話せなかったイギリス王ジョージ1世、新教徒に担がれベ
ーメン王になったが一冬で王位から終われ「冬王」と呼ばれたプファルツ選帝侯フリードリヒ5世ぐらいでしょうか? う~ん、ドイツばっかりでなかなかイギリスに戻れない(^_^;)
 ところで 「アンハルト・ツェルプスト侯」というのが出てきましたが、このアンハルト・ツェルプスト侯家の末裔にある超有名人物がいます。はじめの名は「ゾフィー・フリーデリーケ・アウグスタ」、嫁いでからは「エカチェリーナ・アレクセーヴナ」...そうなんです、あのロシアの女帝エカチェリーナ2世はドイツの小諸侯アンハルト・ツェルプスト侯クリスティアン・アウグストの娘なんです。
 いえ、ただそれだけなんですけど...(^_^;)

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NIFTYの遺産(38)~ヴィクトリア女王の先祖(9)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第9回です。これも、第1回の続きです。
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 今回の部分では、ハプスブルク家の祖ともいうべき皇帝ルドルフ1世&その宿敵ともいうべきベーメン王オタカル2世、ラテン帝国の初代皇帝ボードワン1世&ボードワンたちを頼り結局国を失ったビザンツ皇帝イサキオス2世、そして『金印勅書』で有名なカール4世、とそれなりに有名な面々がそろいました。

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NIFTYの遺産(37)~ヴィクトリア女王の先祖(8)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第8回です。前回の続きです。
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 今回はいろいろですね。イベリア半島からナヴァラ王国、ベネルクス諸国からフランドル・エノー。クマン汗なんていうのも出てきました。あと、残り最後の大国とも言うべきビザンツ帝国が出てきました。
 今回の部分で言うと、スペインの英雄エル・シッド、ビザンツ皇帝アレクシオス1世(第1回十字軍の頃の皇帝)あたりがまあ有名でしょうか。

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NIFTYの遺産(36)~ヴィクトリア女王の先祖(7)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第7回です。やっと、第1回の続きに戻りました(^_^;)
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 この前言ってましたが、とうとうヨーロッパ諸国の内、残っていたカスティリャ・アラゴン・ナヴァラなどのイベリア半島諸国が出てきました。あと、ミラノ・サヴォイ・ナポリなどのイタリア諸国もありますね。今回の部分では、一般
的に著名な人物は全然いませんねえ(^_^;)

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NIFTYの遺産(35)~ヴィクトリア女王の先祖(6)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第6回です。今回は第5回の続きです。
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 今回もポーランド・ベーメン・ロシアなど東欧が多いですね。あと、ハプスブルク家の先祖・皇帝ルドルフ1世が出てきました。私も調べてみて気がついたんですが、皇帝ルドルフ1世の皇妃がホーエンツォレルン家の分家ホーエンベルク家の出身とは... こんな古くからハプスブルク家とホーエンツォレルン家の間でつながりがあるとは思いませんでした。

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NIFTYの遺産(34)~ヴィクトリア女王の先祖(5)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第5回です。
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 しかし、自分で始めておいて言うのもなんですが、ほんとヨーロッパ中に広がってきましたね。シュヴァーベン・ロートリンゲンなどのドイツ諸侯、それからシチリアのノルマン王朝(最近読んでる『ノルマン騎士の地中海興亡史』に出て
きます)、それに皇帝ルードヴィヒ4世を出したバイエルンのヴィッテルスバハ家、おまけにベーメン(ボヘミア、今のチェコ)・ポーランド・ハンガリー・セルビアにロシアのキエフ大公、ビザンツ皇帝まで、東欧総なめですね(^_^;) 今回出てきた中で、一般的に知られている人物というと、イングランドのジョン失地王の他は、せいぜいロシアにキリスト教を取り入れたキエフのヴラディーミル1世(聖公)ぐらいですかねえ。
 あと、ヨーロッパの国で出てこないのはスペイン・ポルトガルぐらいかなあ?

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NIFTYの遺産(33)~ヴィクトリア女王の先祖(4)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第4回です。
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 今回はデンマークまで出てきました。ちなみに、この系図に出てくる「スヴェン1世」の息子というのが、イングランドに侵入しアングロ・サクソン王家から王位を奪った、あのクヌート(カニュート)大王です。
 ドイツのザクセン朝・ザリエル朝・ホーエンシュタウフェン朝も出てきました。著名なのは、ローマ教皇と対立し破門されたフリードリヒ2世、第三回十字軍途中で溺死したフリードリヒ1世"バルバロッサ"、「カノッサの屈辱」で有名なハインリヒ4世、神聖ローマ帝国の祖オットー1世"大帝"あたりでしょうか。

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NIFTYの遺産(32)~ヴィクトリア女王の先祖(3)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第3回です。
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 とうとう、フランス王家やドイツ・スコットランドも出てきました。カペー朝の祖ユーグ・カペーやドイツのザクセン朝のオットー大帝の父ハインリヒ1世、あのマクベスに殺されたスコットランド王ダンカン1世とその息子で父の仇マクベスを討ち果たしたマルカム3世... おや、またアルフレッド大王が出てきました。(イングランド王の先祖なんだから、当たり前か...)

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NIFTYの遺産(31)~ヴィクトリア女王の先祖(2)

みなさん、こんにちは。

 「ヴィクトリア女王の先祖」第2回です。
 えっと一つ説明を忘れていましたが、どんどん先祖へと遡っていくと系図が横に広がっていきますので、横に全角40文字しか表示できないパソ通では、制約があります。そこで、お気づきと思いますが「※~」という記号で系図をつないでいこうと思います。見づらいとは思いますが、よろしくお願いします。(何かほかに良い方法ありませんかねえ(^_^;))
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 今回の部分では、そんなに著名な人物は出てきませんでしたね。イギリス関係のヘンリー2世、ウィリアム征服王(1世)、ノルマンディー公ロロぐらいでしょうか。

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NIFTYの遺産(30)~ヴィクトリア女王の先祖(1)

これは前回の『ヴィクトリア女王の子孫』に続いて、その先祖を遡って調べたもので、1996年11月に連載したものです。

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みなさん、こんにちは。
外国ネタの第2弾はまたもやヨーロッパネタで、ヴィクトリア女王の先祖です。

 ただ、私の手持ちの資料では、ドイツの諸侯関係は妻の名や出身がわからない部分が結構ありますので、わかる範囲でということでご容赦願います。補足する部分ありましたら、フォローよろしくお願いします。

 どう表記しようかなと思ったんですが、下の方に遡っていくように書くことにしました。ですから普通の系図とは逆の見方になります。(下の方が先祖、上の方が子孫ということです。)
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 これを見てると、本当にイギリス王家ってのがドイツの系統だというのがわかります。しかしフランドル伯を通して、イングランドのアルフレッド大王に遡るというのが不思議ですね。あとは、現在の西欧の祖ともいえるカール大帝(シャルルマーニュ)、皇帝フリードリヒ1世と対立してザクセン・バイエルンを失ったハインリヒ獅子公あたりが歴史上著名な人物でしょうか。

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