厚真町・桜丘チャシ跡見学会に行ってきました
前記事に書いた9月19日の厚真町・桜丘チャシ跡見学会に行ってきました。
参加者は10数名ほどで昨年に比べると少なかったのは残念でした。ただ、午前中にも見学会があったので、それで少なかったのかもしれません。半分以上は地元の方のようでしたが、何人か私のように地元以外の方もいたようです。
苫小牧民報の記者の方も取材にきていたようで、苫小牧民報のサイトを見てみたら記事が載っていました。トレンチの左側奥でカメラを構えているのが私です(^^;)
厚真町教委の学芸員さんのお話では、あそこの地主さんから木を伐採したいという話があったようで、先端部にはチャシがあるのでそちらの方は残してほしいと話をしたそうで、登り口のあたりはすっかり木が切られて開けてしまい、昨年見に来た時と比べると、景色が変わっていました。
上記の苫小牧民報の記事にもありますが、V字壕の部分にトレンチを切って発掘したところ、1667年の噴火の火山灰の層(右の写真の真ん中あたりに見える白い層)があって、その下に壕を掘った跡があるので、1669年のシャクシャインの戦いの頃よりも古い時代に作られたのではないかと話していました。当初はシャクシャインの戦いを記した文献に「阿津摩」と出てくるのでその頃に作られたものと想定していたようですが…
あれだけの大きな壕があるということで、シャクシャインの戦いの頃に築造されたのではないかという当初の想定に私もある程度納得していたのですが、それよりも古い時代にあれだけのチャシが厚真で作られたということに、そして明らかに軍事的な砦として作られた桜丘チャシが、どのような状況の中で築かれたのか、またあれだけの大規模なチャシを作るだけの指導者が存在したということに、とても興味を覚えました。
発掘の結果、出土したものとしては手のひら大の丸い石や鏃などが出てきたようです。
また先端の段状造成の部分もトレンチを切って発掘したところ、深さ1~2mほどの溝が出てきたそうで、前方に掘った土が捨てられて、堆積している部分もありました。ただこの溝は作ったあと崩れてしまい、今のような状態になったようです。チャシに帯郭のような段上造成があるということで珍しいなあと思っていましたが、溝というか壕があったということでなるほどと思いました。
うちの息子が足をけがしたものでベビーカーに乗せて行ったんですが、町教委の方にベビーカーを運んでいただいたり、大変お世話になりました(感謝!)
そのあとヲチャラセナイチャシ跡の見学のため移動しましたが、こちらの方はすっかり発掘が終わったようで、今年はチャシの右側の方を発掘しており、竪穴住居跡が出てきていました。
最後に学芸員の方から、ホームページで桜丘チャシを紹介しているということで私が紹介されて、一言感想をといわれたので参りました(^^;) 今まで見た中でも大規模なチャシでとても貴重なものだと思いますというような事を言って何とかごまかしました(^^;)
それから、この日にポスターをいただきましたが、10月3日(土)に「発掘成果を語る会」を開催するそうで、複数名の外部講師のうち、道教委文化課の田才雅彦氏がチャシ跡の起源、チャシ跡をとりまく現在の状況とこれからの活用について「厚真町で確認されている溝状遺構とチャシ跡について」と題してお話しするそうです。
これにも参加する予定ですが、どのような話を聞くことができるかとても楽しみです。
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