« ヲチャラセナイチャシ跡見学会 | トップページ | 日本家系図学会、解散… »

胆振東部のチャシ巡り

Sakura6 さて続きです。昼食後、SGさんとまずは厚真町内の桜丘チャシへと向かいました。このチャシは17世紀のシャクシャインの戦いにも関係したようで、舌状に伸びた尾根の付け根を壕で区切り、先端部には段上に造成してあるというものです。

Sakura1_2 青少年センターで町教委の方にに教えていただいたとおり、厚真町中心部から先ほどヲチャラセナイチャシへ向かった道を進み、突き当たりにお寺があり右にカーブする所で左折しすぐまた右折します。しばらく進むと途中で舗装道路から砂利道に変わる所があり、その辺りに車を止め、嫁さんと坊主くんには待っていてもらい、SGさんと二人で少し道を進むと左側に登り口が見えてきました。町教委の方の話だと、8月には宇田川洋先生が見にいらっしゃったそうで、しっかり道が付いていて、草も刈ってありましたので、時折蜘蛛の巣に引っかかりながらも問題なく進むことができました。10分ほど道を進むといきなり大きなV字形の壕が見えてきました。
Sakura3 深さ3~4mほどはあるでしょうか。壕底に立つと尾根側もチャシの郭側も、地面が頭のてっぺんより上にあり一度落ち込むと這い上がるのは大変そうです。まさに山城の「堀切」という感じがし、一瞬規模は違いますが以前行った八王子城の堀切を思い出してしまいました。午前中に見たヲチャラセナイチャシが見張り場ならこちらはまさに戦闘的な砦・山城という趣がありました。
Sakura5_2 この壕に感動してしばらく写真を撮ってから先端部の郭に進みました。郭部分も幅18m・長さ81mほどもあって非常に広く、かなりの人数が立てこもることができそうです。そして先端部には今まで見たチャシでは見たことのない段上造成がしてありました。普通のチャシの先端部はそのまま山の下の方に落ち込んでいて、特別な造作をしていないのが一般的ですが、この桜丘チャシは先端部に帯郭のような段上の部分があり、ここにも人を配置して防御を固めることができそうです。
 付け根の深い壕、広い郭、先端部の帯郭のような段上造成とどこをみてもこのチャシはまさに戦闘用の砦・山城であるのは間違いないと思います。これだけのチャシは今まで見た中でもなかなかありません。良いもの見せてもらったというのが一番の感想です。

Oruika1
 その後、車まで戻り、今度はむかわ町(旧鵡川町)のオルイカチャシへと向かいました。ここには以前来たことがありますが、その時は場所を間違えて違う所を見ていたので再チャレンジです。地図を見ると、むかわ町の花岡地区の大きな石碑の近くにあるようなので、車を止め周辺を探してみると、農道の奥の方にそれらしい丘が見つかりました。丁度その先端部分だけ木が切ってあり、きれいになっているので発掘調査でもしたんでしょうか? でも電線のようなロープが張ってあり先に進むことができないので、他の道がないかどうか戻って探してみると近づけそうな道があったのでそちらに進んでみました。ですが、そちらも同じようにロープが張ってあって進めません。ちょっと遠くてよく見えませんでしたが、オルイカチャシと書いてありそうな標柱も見えましたのでここでまちがいなさそうですが、無断進入するわけにもいきませんので、全景を写真に撮ってそれ以上進むのは断念しました。

 この日は早朝の源武チャシ、チャシ見学会のヲチャラセナイチャシ、そして厚真町の桜丘チャシ、むかわ町のオルイカチャシと4つもチャシを見ることができました。その中でも厚真町のヲチャラセナイチャシと桜丘チャシは見ごたえがあるものでした。ヲチャラセナイチャシは来月まで発掘をしているそうですし、桜丘チャシは道が付いて草も刈ってありますので、どちらも来月くらいまでは見学しやすい状態だと思います。
 それから、旭川の立岩山チャシも先日発掘をして草などが刈ってあって見学しやすいそうですので、近いうちに見に行きたいと思っています。

|

« ヲチャラセナイチャシ跡見学会 | トップページ | 日本家系図学会、解散… »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 胆振東部のチャシ巡り:

« ヲチャラセナイチャシ跡見学会 | トップページ | 日本家系図学会、解散… »