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開拓記念館公開講座「北海道におけるチャシの形成・終焉とその背景」

 先日、浦臼町で行われた北海道開拓記念館(名前だけだとよくわからないと思いますが、北海道立の歴史博物館です。)の公開講座「北海道におけるチャシの形成・終焉とその背景」に参加してきました。
 浦臼町には4つのチャシがありますが、石狩川沿いのものとしては、旭川まで遡らないと他に存在せず、非常に貴重な史跡といえます。(石狩川の支流である千歳川・世田豊平川沿いにはいくつかチャシがありますが)

 今回の公開講座ですが、2つの報告があり、以下に内容を要約して掲載します。(聞き間違い等があるかもしれませんが、ご容赦を(^^;))
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報告1:「浦臼町晩生内2号チャシの地形測量調査」について
    (開拓記念館学芸員・鈴木琢也氏)
◎チャシの形成・終焉の基礎研究
 全道にチャシが500以上あり、チャシを含めた要害遺跡が3C~18C頃に見られる。チャシと同じく土塁・壕を備えた中世城郭が本州で同時期の戦国期に多数存在したが、北海道もチャシがあることから、本州の戦国期のような緊迫した時期があったのではないか。
 開拓記念館では、平成18年度から分野別研究として拠点的なチャシの地形測量調査を行い、チャシの構造、立地環境、周辺遺跡との関係などを系統的に明らかにすることを目的に「北海道におけるチャシの形成・終焉とその背景に関する基礎研究」を実施することとし、平成18年度に浦臼町晩生内2号チャシの地形測量調査を行った。

◎晩生内2号チャシの地形測量調査から
 測量調査で地表面から確認できた遺構は以下の通り。
*平坦面1:チャシ南東側最端部にあり、壕1により平坦面2と区切られている。平坦面は自然地形を利用したのではなく、人工的に平らに整地した痕跡がある。
*平坦面2:チャシ主体部で、やはり人工的に整地した痕跡あり。方形状の窪みや楕円状の窪みが確認できる。
*平坦面3:壕2により平坦面2と区切られている。やはり整地されている。
*壕1:平坦面1と2を区画するもので、底は平坦になっている。長さ9m、幅8m、深さ2mほど。ステップ状遺構あり。
*壕2:平坦面2と3を区画するもので、深く急斜面になっている。長さ16m、幅6m、深さ4m。この壕の両側に土塁1・2が構築され、両者を組み合わせることで深い壕となっている。
*土塁1:平坦面2と壕2の接する部分に構築。壕2の堀上土と利用したものと考えられる。高さ1m、長さ7m、幅2m。
*土塁2:平坦面3と壕2の接する部分に構築。もとは一つのものだったものが、土塁に道などが造られ破壊、現在は3つに分かれている。高さ1m、長さ8m、幅2m。
*ステップ状遺構1:壕1の北側に構築。 *ステップ状遺構2:壕2の北東側に構築。ともに整地してステップ状に構築した入り口・通路と思われる。
他に土塁2の中央に道、壕2の中央に土橋状のものがあるが、これはチャシが使われなくなってからのもので、近現代に構築されたもの。

 このチャシは、石狩川の右岸に立地し、石狩川を利用した河川交通・交易に深い関連を持っていたと思われる。

◎チャシの形成・終焉とその背景の解明に向けて
東北北部の古代防御性集落は10~11C頃のもので、70遺跡が確認。
10~11C頃に鉄・塩・須恵器等の生産が盛んとなり、これらが北海道へ展開し、交易が盛んとなる。
その結果としての冨の蓄積による貧富の差、安倍氏・清原氏ら有力な勢力の出現等で緊張関係・軋轢が生じ、防御性集落が誕生。
奥州藤原氏の滅亡、鎌倉幕府の西立で、緊張関係は終わりを告げ、防御性集落は終焉を迎える。
 東北北部の防御性集落の形成・終焉を以上のような流れで捉えているが、チャシの成立・終焉を考える上でのモデルになるのではないか。

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報告2:「北海道の要害遺跡」について
    (開拓記念館学芸第一課長・右代啓視氏)
北海道のチャシを検討すると、擦文文化期・オホーツク文化期に遡る重複遺跡が多く存在することが判明。
北東アジア地域で見てみると9~13世紀にかけて、広大な地域で防御的な機能をもった遺跡(「要害遺跡」)が多く作られている。
 *東北北部:環濠集落、防御性集落、(中世情感) *北海道:北海道型の防御性集落、チャシ
 *サハリン:要害内集落、壕・塁壁内集落、(土城)、チャシ *千島・カムチャツカ:オストローグ、チャシ

これらの要害遺跡の研究を進める上で、北海道北部とサハリンとの結節点となる稚内・礼文島のチャシの地形測量調査を平成15~18年に実施した。その結果は以下の通り。
 *増幌チャシ:孤島式(古代~中世)、擦文時代の竪穴状の窪みあり。続縄文・縄文まで遡る可能性あり。
 *増幌川口1号チャシ:塹壕などから要害遺跡・チャシではなく、太平洋戦争に関連した軍事遺構
 *増幌川口2号チャシ:丘先式(古代~中世)、壕2本、擦文期の竪穴状の窪みがあり、擦文土器が出土。擦文・オホーツク文化期まで遡る。
 *泊岸1号チャシ:面崖式(中近世)、太平洋戦争期の塹壕、竪穴状の窪みあり。擦文・続縄文or縄文に遡るか?
 *泊岸2号チャシ:丘先式の要害遺跡、アイヌ時代以前のもの、竪穴状の窪み(オホーツク文化期のものか?)、第二次大戦期の塹壕があり、太平洋戦争と関連した軍事遺構。
 *沼の沢チャシ(礼文島):面崖式(中世~近世)、コの字状の土塁・壕あり。シラヌシ土城とは構造・規模が異なる。
【まとめ】:これらの遺跡は、河川・海岸に接し、サハリン・本州との交流・交易を示す拠点的な要害遺跡で、擦文・オホーツク文化期まで遡る可能性がある。
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Img_4274 どちらもなかなか興味深い内容でした。公開講座修了後、久しぶりに浦臼町内の4つのチャシを巡ってみましたが、最初に行った鶴沼チャシは草が生い茂っていて近づけない状態で、草をかき分けていけばたどり着けなくはないですが、今回はそこまでするつもりはなかったのでそのまま札的方面へ。
Img_4280 札的チャシに行く前に札的の墓地にある坂本竜馬縁のお墓に参りました。ここにあるのは龍馬の甥でその名跡を継いだ坂本直(高松太郎)の妻留とその息子直衛の墓です。二人は直の死後、北海道に渡っていた直の実弟で坂本本家を継いでいた坂本直寛を頼って北海道に渡ってきたとのことです。
Img_4287 次に札的チャシですが、ここは以前来た時にも沢を登ってやっと壕を確認できたところなので無理せず標柱と遠景のみ撮影し晩生内方面へ。
Img_4288 そしてまず晩生内1号チャシですが、ここは昨年の2号チャシに続き、今週の5日から地形測量調査を行うため、草刈りがなされていて、普通この時期なら笹藪ではっきり確認できない2本の壕とその両側の土塁がきれいに見ることができ、今が見頃です。Img_4309
1本目の壕は少し浅くて短いですが、2本目の壕は深さ2~3mあり、チャシの壕としてはなかなかのものです。ただ、狭い舌状台地の先端を区切るように切られた壕なので、長さは10mくらいですが。
Img_4318
 そして最後に晩生内2号チャシですが、こちらも草藪の彼方でしたので無理せず、麓の方の1号チャシの近くにある標柱を撮影しました。(樹木と電柱の陰になっていて見えにくいところにありますが)
 浦臼のチャシ巡りは8年ぶりくらいになりますが、やっぱりいいですね。秋になって草が枯れてきたら、もう一度他の3つのチャシも見てきましょうかねえ?

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コメント

私も浦臼町における講演を聞きました。その後、鶴沼のチャシをたづねました。ブログに綴りましたので・・・

投稿: sakiyama | 2007年10月 7日 (日) 05時59分

>sakiyamaさん
 コメントありがとうございます。早速そちらのブログ、のぞかせていただき、トラックバックさせていただきました。鶴沼チャシは今回はパスしましたが、8年前に訪れた時には意外と浅い壕だったように記憶しています。いずれにしても、そのうちに再訪したいですね(雪の降る前に)

投稿: KUBO | 2007年10月10日 (水) 00時16分

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