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浪岡氏の末裔

 先日道新を見ていると、「朝の食卓」というコラム欄で「名の由来」というコラムが載っていた。題にひかれて読んでみると、書かれていたのは釧路在住の啄木研究家で「北畠立朴」という方だ。

 簡単に内容をまとめると、私の名刺をもらった人はまず「何と読むのですか。」と聞いてくる。名字の方は読めても、正しく「りゅうぼく」と読んでもらえない。これは戸籍上の名前だが、親から由来を聞いたことがない。先祖のことを調べ始め、本家のある青森県板柳町役場からもらった手紙に「浪岡城主だった北畠家は、落城後現在まで医業を家業として世にかくれ、初代の医者は名を『立朴』として親しまれていた。」ということが書かれていて、名前の由来がわかり、自分の名前に愛着を感じると同時に、早く他界した父に感謝するようになった、というようなことだった。

 どうやら私のサイトの「滅びた(?)名族」シリーズで紹介している浪岡北畠氏の末裔の一つで浪岡顕忠の子顕佐を祖とする館野越北畠氏の御子孫のようで、系図を見るとたしかに「立朴」という人物も見受けられる。
 まあ話としてはそれだけなのだが、こんな記事を新聞で見つけると何となくうれしくなってしまうのは、やっぱり私が系図オタクだからなんでしょうねえ(^^;)
 早く「滅びた(?)名族」シリーズの更新もしたいなあ...

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コメント

初めまして、私は青森市浪岡商工会会長の一戸善正と申
します、私は昨年から商工会長拝命してから我が浪岡商
工会を浪岡北畠公をアドバルーンに掲げ浪岡の活性化に
繋げようと商工会理事会で決議し今年は細やかながら北
畠夏祭りを手作りで顕家公の写真を飾りパレードを実施
しました。なぜ北畠公かと言うと1,300年から1,400年
代に北畠公が浪岡に入府し津軽を統治し一説には東北一
円に力を発揮したとも聞いております。
そのことを夢物語でもいい・・・でも真実なら凄いこと
だとの思いで我々浪岡商工会は「商工業」から「農商工
連携」に変えました、そこで地域の農産物と技術を多
いに生かし地産地消から地産外商で外貨を稼ぎたい思い
で今年から活動を始めております。
我々同士が今北畠親房公から顕家公・顕成公・・・とPC
や知り合いからいろいろ情報を集めている処であります。
そして、今PCで「北畠立朴(りゅうぼく)氏」のKU
BOの独り言にたどり着きました・・・北畠公が津軽為
信に滅ぼされた後に北畠家の歴史が津軽で活躍していた
事実を末梢されたかのようにしっかりしたものが残って
おりません・・・しかし昔はいざ知らず今は自由に何で
も発表できる時代です、事実を書いたものを私たちは求
めていますそのような情報などあれば是非お知らせくだ
されば大変助かります・・・尚どこどこにあると言うな
ら教えて貰えれば其方行って確認したいと思っておりま
すので宜しくお願いします。
突然不躾な一報をお許しください。
これも何かの縁だと思いますので宜しくご指導願います。
H25年10月13日
一戸善正より。

投稿: 一戸善正 | 2013年10月13日 (日) 21時49分

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